途中で死ぬのが、永く英人の悩みであった。
羊のことを言っている。
牛と並んで、オーストラリアの名産品だ。
それ自体は上出来だ。
ただ、問題は、輸出であった。
羊毛、食肉――そういう
「生きた羊をそのまま寄越せ」
と註文されると難しい。
羊は陸上生物だ。
土の上でこそ活きる。
船旅に不得手であることは、いっそ惨めなまでである。慣れぬ環境、募るストレス、周囲のすべてが彼らを弱らせ、結果バタバタ死んでゆく。その損耗こそ、何十年もの長きに亙り、英人の悩みの種だった。
無駄を省くは東西問わず、人間社会の鉄則だろう。本能的に我々は、効率の追及を「善」とする。英国人も盛んに「善事」を行った。
馬鹿気た損耗、無為に積まれる死の山を、ただあんぐりと口を開いて拱手傍観できるほど、彼らは老いていなかったのだ。多くのことが試された。その中の一、1879年に執られた手段が面白い。
簡単に言うと、羊を仮死状態にするのだ。
それから運ぶ。送り先にて復活させる。途中の飼料も削減できて万々歳なことである。むろん、上手くいけば、だが。いったい
「案ずるより産むが易し。とにかくやってみることだ」
で、彼らは実験をした。
(viprpg『時代は暴力より医学』より)
その報告は驚きを以って迎えられずにいられない。成ったか成らぬかより前に、抑々そんな挑戦自体、神への冒涜ではないか?
生命倫理うんぬん絡みの七面倒な紛糾は、この時代からもう既に
騒ぎが大きくなるにつれ、波紋はついに日本国の理学会――生まれて間もなく輪郭も未だあやふやな、軟く小さいこの辺陬の上にまでも到達し、確かな揺らぎを与えていった。
面白く、且つありがたいことである。お蔭で後世の我々が、気になる実験概要を、日本語で追いかけられるのだから。
当時の記事を読み解くに、肝心要の仮死状態は何か特殊な薬剤注射で引き起こされたものらしい。曰く、「銀管をもって羊の体中に薬汁を刺入すれば、倏然として頓絶し、斯くて之を再活せんには、羊の耳孔に脂油をつめ、適度の温湯に頭尾共に沈め、五分を経て其頭は湯より出し、耳孔の脂油をすて、頸以下猶ほ其湯中に浸入しおきときは、頓て羊は飄然として跳り出づるとならん」――蘇生措置に至っては、なにやら儀式めいていて、怪しい雰囲気すらにおう。
この研究が、はたしてどれほど実を結んだか。
2018年の事件を一瞥すれば、たちどころに瞭然たろう。
このとし、オーストラリアから中東へ向かう貨物船の船内で、二千四百頭もの羊が熱ストレスで死亡した。
家畜類の生体輸出にかかわるリスクは、1879年の昔時から、大して改善されてない。そんな風に判断するほか、これは仕様がないだろう。
仮死状態からの復活――そんな便利な沙汰事が、もし実用化されていたなら、斯くも酸鼻な事件など起こりようがない筈だ。
つまりはそういうことである。
科学の進歩も、なかなか以って難しい。
その道程は数え切れない徒花によって満ちている。あえなく散った
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