暑い。
いつまでも暑い。
週間天気予報には心底うんざりさせられる。
「このあたりから涼しくなります」と発表されても、いざその日付が近付くと、さながら蜃気楼の如く低い気温が掻き消えて、変わらぬ夏日が顔を出す。ゴールポストを延々と動かされている気分であった。
勢い気象庁に対し、意趣を抱かずにいられない。
不都合な天候への苦情、慨嘆、鬱懐、憤懣、愚痴を彼らに対しぶつけるという風潮は、大正時代に既にこれを見出せる、百年以上連綿と続く、ある種伝統とも言える。
そういう庶民の気質に対し、
「困ったものだ」
と、露骨に顔をしかめるは、ごぞんじ武田久吉博士。
当時の彼の著述に曰く、
「科学に無理解な世人は、天気は中央気象台で日々勝手にとりきめて、それを予報として発表するものだとさへ思ってゐる。ゆゑに天気予報が当たらなかったら、それは気象台の罪になることは勿論、霖雨がつゞくとか、旱日がつゞくとかいふ場合には、たとひ予報が当たったとしても、斯かる天気から世人が受ける迷惑は、気象台がつぐなふべきとさへ考へる向きもあるといふ」
日本人の精神界にはまだまだ科学的思考が足りませぬ、だからこんなお門違いな文句をつける、と。
苦々し気に書き綴ったものである。
(Wikipediaより、中央気象台)
彼の判定に従えば、私なぞも無智蒙昧な愚民の一人に算入されることだろう。
が、言い訳をさせてもらうなら、斯くも強烈な太陽光の熱射の前に、科学的思考がなんだろう。思慮など片端から溶けて、原始的な感情の虜とならずにいられまい。
だから夏は嫌いというのだ。
脳味噌がオーバーヒートして、出すも入れるも儘ならなくなる。
秋の到来が一日も早からんことを、ただひたすらに希う。
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