穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

露人の見た韓国の原風景


 戦争も商売も、成否は「諜報」の一点に在る。


密偵に費やす金は最も巧みに運用されたる金である。政府がこれを支出するに吝かなるは、怠慢の極致と評すべし」――不朽の名著『外交談判法』中で、フランソワ・ド・カリエールは斯く述べた。


「復讐は武士の大事である、ひとたび討ち損なえば一生の恨みを遺すのである。なればこそ敵を討つにはあらゆる手段を行使して、敵に関するあらゆる事情を精密に知り、愈々敵を討つ段にあたっては、一挙して必ず仕留めるの決心がなければならぬ」――わがくに軍学の泰斗たる山鹿素行もこういう意味の沙汰事を、その弟子達に伝えたものだ。

 

 

Yagama Sokou

Wikipediaより、山鹿素行

 


 諜報を盛んにする国は興り、疎かにする国は亡ぶのである。


 これはほとんど、公理に近い。


 ――ざっとそんな塩梅で。


 帝政ロシアが本能的な南下衝動に従って朝鮮半島を窺っていた頃のこと。


 これから手中に収めるであろう土地の実態を確かめるべく、政府は「目利き」――具眼者どもを何人か、特に選んで派遣して、あくせく調査に当たらせた。


 彼らによる報告は一冊の書に纏められ、大蔵省の名の下に出版されることとなる。


 明治三十八年には翻訳版が日本でも発売された。


 題は至ってシンプルに、『韓国誌』と銘打った。


 試しにパラパラ捲ってみると、のっけからして既にもう、


「韓国に於ては牛馬不足なるに依り耕耘の事は主として手の労働に依り、随って大鋤を用ふるよりは小鋤若くは円匙を用ひざるべからず。而して其の用具は概して最も幼稚なる形式に属するものにして、小鋤は通例木根を以て製し、先に鉄を嵌めず。器具の方式既に斯くの如くなれば、深く耕すことを得ざるは知るべきなり」


 こんな具合に、インパクトの極めて強い内容が出迎えてくれるわけである。


 流石としかいいようがない。


 二十世紀に突入してなお、全国田圃の二割までしか灌漑設備が成されておらず、


 残る八割は天水頼り、

 

 脱穀術に至っては、石や木臼にやたらめったら稲を叩きつけてゆく、原始的な打穀法がせいぜいで、千歯扱きすら滅多にお目にかかれない、貴重品であった国。砂混じりの米に甘んじていた連中は、やはり違うということだ。

 

 下手をせずとも、江戸時代の日本の方が文化的に進んでないか。

 

 

Japanese old threshing machine,Senba-koki,Katori-city,Japan

Wikipediaより、千歯扱き)

 


 以下、露国謹製『韓国誌』より、特に私の目を引いた箇所を幾つかピックアップする。


 併合前の半島事情、朝鮮の原風景を探るのに、きっと貴重なよすがとなることだろう。

 


〇韓国に於ては現世紀の間、実際上人口の増殖なしと云ふ説に賛成する者あり、人口の増殖せざる原因として第一着に挙ぐべきものは韓国民多数の極貧なるにあり。グリフィス氏曰く、韓国人はマルサスの原則を知らずして而かも慢性的の乞食生活を存続して人口制限の為め劇烈なる方法を求めたるものなりと。


韓国には堕胎の風習頗る弘く行はれ、且四歳以下にして母を失ひたる児童は育児法に拙き為め成育せざるを常とす。是等の疾病最も多し。

 

 

(朝鮮の民家)

 


〇韓国の市街及び村落は低地に位置するもの多く、其人家の側には流通せざる水溜ありて其水溜は真に黴菌の培養地とも称すべく、又厠よりの不潔物は凡て街上に流出し大いなる市に於ては覆蓋なき溝渠に流入。故に腸チフスの発生に適当なるは素より驚くべきことにあらずして、是等の有機物は飲料水の媒介によりて人身を犯すものの如し。又海港地には脚気病あり。


〇韓国は耶蘇紀元後の初期に於ては製造業盛んに発達し日本人の師となりて漆器陶器等の製法を伝へたることありしに、其後韓人は之を発達完成することを為さざりしため、其事業は次第に退歩したりと云ふ。而して目今は是等の事業は寂寞として殆ど言ふに足るものなし。
 前記事業をして衰退せしめたる原因は複雑多種にして次の諸項を指示することを得べし。即ち最近二世紀の間外国と交通なかりしこと、行政苛酷にして国民の財産を害し奮起心を消滅せしめたること、苛税頻繁にして国民生活の秩序をやぶりたること、交通不便にして輸出の途途絶したること是なり。


〇右の如くにして製造業は退歩し現今は陶器絹布の如き、一も観るべきものなく偶々専門の職工なきにあらずと雖も其工品凡て粗悪にして価値あるものにあらず。

 

 

(併合後、朝鮮の陶器市場)

 


 返す返すもとんでもない国だった。調査していて、ロシア人らも


「なんということだ」


 と戦慄したのではないか。


「朝鮮の物産が、農産、林産、水産を主として居ることは昔も今も変りがない。物産の分布状況を通じて観たる朝鮮の国民生活が、約四百年前も、約百五十年前も、また約五六十年前も、共に原始的生活の域を脱して居ない」――善生永助が嘆じるのも納得である。


「彼等は民度と知識の劣れるが故に、その自棄的にして諦観的な生活精神の伝統の為に、新しい合理的な農業技術の理解と実行が困難なのである。従って改良された生産技術を継続せしめるためには、絶へざる指導と督励、否、『監視と命令』とを必要とする。現在の朝鮮農業の生産的発展経路は、斯くしてのみ可能なのである」――総督府で農業指導に就いていた、久間健一の言葉は重い。

 

 

(除草実習に参加する吉州公立普通学校の児童たち)

 


 日本はまったくいくさに勝って、途轍もない負債を抱え込んだものだった。

 

 

 

 

 


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