七つの海を支配した超大国イギリスも、中世頃にはずいぶん惨めなものだった。
この国の対外貿易は――島国であるにも拘らず――、ほとんど全部が外国商人どもの手に落ちていたといっていい。
ハンザ同盟、ヴェニスの商人――そのあたりの連中が大あぐらをかいていた。彼らは宛然天使のように柔和な微笑を浮かべつつ、猫撫で声で王侯貴族に接近し、その幅広な袖の下へと山吹色の菓子をねじ込み、ねじ込みまくり、以って様々な利権を引き出し、ふと気がつけば当の英国人よりもずっと有利な条件のもと商業に従事する「高み」にのし上がっていた。
(ヴェニスの街並み)
タダみたいに安い関税が例としてまず相応しい。賄賂とは元来、そういう性質ではないか。海老で鯛を釣るのが目的である。中世に於けるイギリスは、実に喰いつきのいい漁場であった。
就中、ドイツ北部の商人どもの鼻息たるや素ン晴らしいものがあり、首府ロンドンの只中にスティールヤードと通称される規模の大きな居留地を占め、ますます勢威を逞しくしたものだった。
こういう状況を、しかしほとんどの英国民は異としなかったようである。そのあたりの機微につき、
「ある都市の市民にとってその都市以外の地方から来る者は尽く外国人なのである。ブリストルの市民にとってはレスターの商人もハンブルクの商人も同じことなのである。唯それ等の者に対し、出来るだけ自己の都市の利益を計らんとするに過ぎない。従って外国の商人が国王に献金し、財政的援助をなして何等かの特権を得たとしても、彼等の関するところではなかったのである」
こんな具合に、その著書である
要するに一体感を伴った国民意識が社会に存在していない。民衆は個人のまま溶け合わず、共同体といっても地方的がせいぜいだ。中央の動きに没交渉、国富の流出を警鐘されても自分の財布が膨れて居ればそれでよし。ナショナリズム以前の社会は、どうもこういう脆弱性を伴うものであるらしい。
後世からすれば信じ難いほどの無神経さで、大衆は事態を看過する。
「こんな馬鹿な話があるか」
と眼を怒らせて立ったのは、多数派とはほど遠い、一部の地元商人だった。
再びアシュリーの言葉を借りると、外国資本の活躍に「激しく嫉妬を駆り立てられた」商人たちは、屡々無頼漢を使嗾して暴動ないし略奪騒ぎを起こさせた。更に気概のあるやつは、自分こそが彼らに取って代わらんと船を仕立てて対外貿易事業の世界に飛び込んだ。当時の人は後者を指すに、「アドベンチャラー」――「冒険者」の名を以ってした。
ある種の日本人にとり、ここ数年来、急速に耳馴れた響きであろう。
険ヲ冒ス――実際彼らの負ったリスクは甚大で、ちょっと言葉に為し難い。
前述の通り、政府の庇護は外資にこそ注がれて、冒険者らに廻してやれる余力など欠片ほども残っていない。
彼らはまったく自分たちの手腕のみにて海賊その他の脅威を防ぎ、交易という、この刺戟的な賭け事に挑まざるを得なかった。
既に賭けである以上、凶を引いたやつもいる。
特に悲惨な大凶が、一三七五年に転がっている。
貨物を積んだブリストル商人の船舶が、ドーバー海峡を航行中に何者かにより拿捕され焼かれ、一万七千七百三十九ポンドもの損失額を計上したとのことだった。
聖職者の年収が五ポンドにも届かなかった時代に於いて、こんな数字、青ざめるどころのさわぎではない。
致命的といっていい。何人か首を括っても、ちっとも不思議でないだろう。
げに恐るべき惨状を目の当たりにして、しかしそれでも、新たな冒険者は生まれ続けた。
羊毛を輸出品に携えて、フランダースやイタリア辺から質の高い織物や酒、それにもちろん武器を輸入品として、持ち帰っては巨利を博したものだった。
彼らの流した血も汗も、あらゆるすべてが大英帝国世界雄飛の礎となる。
十九世紀にとある紳士が口にした、
「北アメリカとロシアは我等の穀物畑であり、シカゴとオデッサは我等の穀倉であり、カナダとバルチックは我等の森林であり、オーストラリアは我等の緬羊牧場、南アメリカは我等の牛牧場、ペルーは銀、カリフォルニアの黄金はロンドンに流入し、支那は我等のために茶を産し、コーヒーと香料は東インド農場より来る。スペインとフランスは我等の葡萄畑であって、地中海沿岸の諸地方は我等の果樹園である」
この情景を、やがて導く
足利義満が権威を犠牲に唐土の富を大和島根へ流し込もうと躍起になっていた時分。地球のおよそ反対側では、こういう事態が進行中であったのだ。
世界は広い。
わけもわからず、無性に嘆息したくなる。
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