伝統とは、ときに信頼なのだろう。
フランスがスエズ運河の開削に、オランダ人らを大挙雇用した如く。
村田銃の量産作業に際会し、明治政府もひとつ凝った手を打った。
玄人衆を引き入れたのだ。
彼らは西南から採った。種子島の鉄砲鍛冶に声をかけ、遥々帝都へ呼び集め、実務に当たらしめたのである。
(Wikipediaより、村田銃)
日本歴史に於いて初めて、国産銃器の製造を成就せしめた工人集団の末裔を、今度、これまた、またしても、日本史上初となる国産ライフルの製造に携わらせたワケだった。
実に妙味な配置であろう。
心憎い、とすら言える。
この方針はただの絵合わせ、ゲン担ぎ、判じ物にとどまらず、目に見えて良果を示したそうだ。当時の新聞、『朝野』に曰く、
「往昔
ちょっとした歴史再現だった。
さても快い景況である。
「我等は祖先に存するあらゆる心意的、道徳的特性を、悉くその子孫に於て見出すことを期待する」。エマーソンは正しい。イメージの瓦解に遭うのは辛い。「栄えある歴史」を背負った者には、常にそれに相応しい内実を備えていて欲しい。ゆめ看板倒れになってくれるな。勝手な期待と言われようとも、この願望は
……ちょっと脱線してしまったか?
まあ、要するに。何が言いたいかというと。
こんな意味でも日本人の魂が充填された武器だったのだ、村田銃と云うヤツは――。
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