明治の初め、本格的に国を開いて間もないころの日本に、どやどや上がりこんで来た紅毛碧眼の異人ども。我が国固有の風景を好き放題に品評した彼らだが、こと建築に限っていうと、嘆声を放ったやつはほぼ居ない。
「なんだこの、薄っぺらな紙と板の小細工は」
大抵が悪口に終始した。
「マッチ一本投げ込むだけで、たちまち灰になるだろう」
そんなことを大声でがなり立てるのである。
人目を憚らず――というよりも、黄色人種を最初から人間と認めていない風だった。
――相手にするな。
と、後世に棲むわれわれならば言うだろう。
どうせあんなのは一旗組だ、祖国に立つ瀬がないゆえに、遠く離れた異郷の地にて原住民を
が、不幸にも、国際社会を知ったばかりで、まだまだ世界に初心である明治人らは別な反応で以って報いた。報いてしまった。
「いちいちごもっともな仰せ。いやさまったく、我らとしても恥じ入るばかりで」
本気で心底恐れ入り、縮こまって拝跪せんばかりの態であるから堪らない。
士魂を何処へ落としたと、攘夷家でなくとも思うであろう。
なんといっても西園寺公望にしてからが、
「世間で長を採り、短を捨るといふが、それは我に選択の見識が出来た上のことである。今日日本が西洋の文物を採用するに何れが長、何れが短の弁別が出来る筈がない。それで今日の計は長も短もない。何でもかでも、一応西洋の文物を採ることである。長短の問題はその後である」
衒いもせずに、こんなセリフを口走った時期だった。
西洋崇拝全開と言おうか。そういう空気の只中で、
「そもそも本格的の建築なるものは、石あるいは煉瓦を以ってガッシリと積み上げたものでなければならない、火にも水にも風にも、総ての自然の脅威に耐えるものでなければならない。またそれを考案し、建築する者はアーキテクトと称する高級な学者ないし芸術家であるべきで、それが設計をなし、監督して造り上げたものでなければ真の建築とは呼べない。しかるに日本に来てみると、その家たるや、薄っぺらな紙と板とで造ったものに過ぎぬ。しかもそれを設計し、施工する者は、低級な大工と称する職工である。いったい何の所以があって、こんなものを『建築』などと看做せよう」
以上の如き「御託宣」を受けてしまえばどうなるか、あまりに容易く想像のつくことだろう。
雷霆以上に激甚な響きを伴って、人々の脳を震わせたかと思われる。
「大変だ大変だ」
これは我らも早急に石やレンガで家を建て、人間らしい文化生活を始めねば――と。
焦燥感にきりきり舞いして、その痛々しい挙動から、やがて生起してきたモノが工部大学校であり、造家学科の設置であった。
(Wikipediaより、工部大学校)
その工部大学校の卒業生に、辰野金吾という人がいる。
日本最初のアーキテクトと名の高い、つまりは斯道の大家であった。
かといって、学校を出たその日から、左様な威厳を以ってして世間を睥睨し得たわけでは、むろんなく。
より知見を深めるために、辰野金吾は卒業後、海外渡航を試みた。留学先は世界の中心、大英帝国、首都ロンドン。時あたかも明治十二年だった。
さて、この留学期間中、辰野は忘れ難い体験をする。
これまで等閑に附してきた日本固有の建築につき、急ぎ見直さねばならぬ――と、悟る
…其時ロンドンにバージェスといふ建築学の大家が居り、大学の教授であった。辰野先生はこの人に就て教を受けられたのであるが、或日バージェスは辰野先生に向って、
「お前は遥々日本から勉強に来たのださうが、日本は古い国で、相当の文化を有ってゐる国だと聞いてゐる。しからば日本固有の建築があるだらう、無論なければならぬが、一体日本固有の建築とはどういふ建築か」と問はれた。すると辰野先生は返答に困って、「一向に存じません」と云って冷汗をかゝれたさうである。
「さうか、日本は古い国だから古い建築が相当遺ってゐるだらう、どういふ古い建築が遺ってゐるか」と再び問われた。辰野先生は考へて、「一向に存じません」と云って、またも冷汗を流された。(中略)帰るに臨んでバージェス先生が「お前は外国の建築を研究するのもよいが、それよりも日本の固有の建築を勉強なさい、建築はその土地に則したものでなければ意義をなさぬものだ。イギリスの建築ばかり覚へたとこころで役に立たぬ、先づ日本の建築を勉強しなさい」との苦言を与へられた。
後年に於ける辰野金吾の門下生、伊東忠太の随筆よりの引用である。
なにやらひどく見覚えのある光景だ。
漠然とした既視感は、すぐに明確な像を成す。
そうだ、大日本水産会だ。
村田保があの組織の設立に躍起になった動因も、もとを糾せばこの通り、外国人の
(カツオの一本釣り)
日本社会の改良に、やはり外圧は不可欠らしい。
他所様の目に、自分たちがどう映っているかということに、病的なまでに気を遣う。これはもう、この民族のどうにもならない宿痾なように思われる。治しようがないのなら、せめて善用の策を練るのがまだ前向きな姿勢であろう。
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