「ものども、よろしく馬を飼え」
こういう趣旨の「お達し」が、政府の威光を以ってして官吏どもに下された。
明治十七年八月一日の沙汰だった。
世に云う乗馬飼養令である。
内容につき要約すると、
「官員にして月給百円以上の者は最低一頭、
月給三百円以上の者は最低二頭、
各々の責任に基いて、乗馬を所有し飼育せよ」
こんな具合になるだろう。
軍馬の不足は当時の政府の大なる課題の一つであって、いざ鎌倉という際に必要量を「どこから」「どうして」掻き集めればよいものか、容易に目処が立てられず、そろばん片手にウンウン懊悩し続けて、考えあぐねた挙句の果てに生み出されたのがコレだった。
窮余の一策といっていい。
「なんということだ」
官員たちこそ迷惑したが、その一方で、
「さてこそ千載一遇の好機到来」
と色めきたったやつもいる。
博労および馬具職人等、馬にまつわる商業行為を営んでいる者である。
「馬を飼う」と一口に言っても、それには色々装置が要るのだ。
(1920年代、スイス陸軍)
鞍に手綱に蹄鉄に、鐙も買わねばならないし、
更に言うならここ数年来、馬の価格が下落している。三年前と比較して、実に三分の一水準という暴落ぶりだ。これは以前が
もう一度あの好景気を味わいたいと身悶えしながら念願していたところへと、この「飼養令」の渙発である。期待感を煽られるのも無理はない。奥州牧場の衰勢に、いい歯止め役になるんじゃないか――。
ちなみに上記、「馬の値が下落しきっていた時期」に、素人目にもたくましい、上質な南部馬を買い入れたのは、ごぞんじ福澤諭吉であった。
「馬術は運動になる、つまりスポーツの一環である、スポーツというのは健康に良い」
主にこうした理由から、居合同様、日々たしなんでいたようだ。所謂「武士の表芸」は一通りできる人だった。
そういう福澤諭吉のことだ、むろん新設の乗馬飼養令に関しても、実に敏感に反応してくれている。
まず以って、肯定的にといっていい。
「…条令の文面には見えざれども、官吏に乗馬を命ずるは其挙動を活発ならしめて自然に心身を勇壮に導くの趣旨ならん。人力車中蒲団に倚り巻煙草を喫し罷めて睡眠を催ふすの柔弱風を一変して、軽騎鏘々、鞭を揚げて走るが如きは、本人の身にも愉快なるのみならず、傍観者の目にも亦愉快なり。官途一般に男子の風を新にすることならん」
こんな調子で受け止めて、更に後日、折を得ては自論をいよいよ拡大し、
「…昔しの大名高家なれば、殿様のお馬は虎の皮の鞍覆に、奥方様は蒔絵の乗物と申す処を、今日人力車中の御窮屈なるは
ひとり官吏に限らない、もっと金を持っているに違いない華族どもにもやはり負担を背負わせろ、惰弱に流れるのを防ぐため、あいつらもまた馬に乗れ――と、恐れ知らずに書いている。
相も変わらず、その筆遣いは雄渾だった。
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