「汝の妻を汝の霊の如くに愛せよ。而して汝の毛皮の如くに打て」
「最愛の人の殴打は痛くない」
ロシアの古い諺である。
夫の暴力にさらされないと妻は却ってこれを侮辱と認識し、「不実」となじり、本気になって憤る。あの国の下層社会にはどうもそういう精神上の偏りがたいへん永らく根を張って、そこから生じたモノらしい。
(10月のモスクワ)
スラヴ民族の心理というのは、まったくわけがわからない。
なんといっても
その情景のおぞましさ。
狂気であろう。
冒涜的にも程がある。こうなるともう、『ベルセルク』の世界観の沙汰事だ。
(『暗黒リカバー伝説』より)
「キリストの敵に委ねられたこの世界のこの穢れた精霊は、火によって清められる外はない」と絶叫し、本気でそれを唯一の救済の道と信じ込み、教祖手ずから火を放っていただくことを無上の栄誉と喜悦した、フィリポン一派と伯仲し得るブッ飛びぶりに相違ない。
だがしかし、こんな分野で張り合って、それが人類文明にどれほどの利益を加え得るのか?
――『尊い命』なる題のフリーゲームを進めつつ、そんなことを考えた。
(『尊い命』)
文句なしに面白い。
監禁、拷問、一手間違えば殺人という、あからさまにヤバイ所業、洒落にならない犯罪行為に及んでいるにも拘らず、雰囲気が妙に緩いというか、間の抜けた感じがひっきりなしに付き纏う。
このシュールさは大好きだ。
愛を実感するために恋人からの虐を求める、錯綜した女性心理は、遠く南米、ボリビアにても見出せる。
マンテガッツァが書いている。彼の地を跋渉した際に、
「彼は私をとっても深く愛してくれているんです。だってこんなにも日常的に、私を殴りつけるのですもの」
花も恥じらう乙女の口から、こんなセリフがまろび出た、と。
三千世界で正体不明の第一は、人の心に違いない。
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