岡本一平は政治漫画もよく描いた。
だから国会の裏も表も、実に詳しく知っている。
記者控室の常連だったといっていい。蝶を待つ蜘蛛の心境で、あの立法府の隅々に感覚の網を張っていたのだ。
(Wikipediaより、国会議事堂)
ある日、こんな景色に出くわした。なんのことはない、ひとりの議員が帰り際、意図せず現職の某大臣と行き合った。すれ違いざま、議員はぺこりと一礼し、簡素ながらも心のこもった辞儀を残して過ぎ去った。ただそれだけのことである。
ところがこの議員というのが実は野党に属する者で、政府攻撃の先鋒として日夜活動にいそしんでおり、ついさっきまでも予算案に関連づけて、まさにこの大臣某氏を罵殺せんが如き大糾弾をやってのけた本人だからたまらない。
仇敵に向かって頭を下げた。それだけでも驚きなのに、それを受けた大臣の方も「全く他意なき微笑をもってこれに答へ」たものだから、岡本はいよいよ胆を潰した。
――本当に。然り、本当に公私の別といふ事をこんなに立派に遣ひ分けられるのか。
戦慄も露わに書き綴ったものである。
公の場でニコニコと、仲の良さをアピールし、私的な場所では険悪・確執・口もききたくないとばかりの冷たい顔を見せつけ合うのは、べつに珍しくもなんともなかろう。
世間の人は結構な割合でやっている。
ごくありふれているだけに、そんなのは大して面白味もない。
反対に、公の場で激しく角逐しておきながら、いざ「お開き」となるとにわかに敬意を表し合う。こちらはそうそうお目にかかれるものでなく、それだけにまた面白味も
そういえば第二次世界大戦中、フランクリン・ルーズベルトが急死すると、ヒトラーは欣喜雀躍そのままの態で口撃の鞭を加えたが、日本国首相鈴木貫太郎はただしんみりと「深い哀悼の意」を表明したばかりであった。
武士道というか、フェアプレイ精神というか。いずれにせよ一連の現象には深いところで、なにか連絡があるように思える。
岡本はまた、政治家といういきものの骨柄・人相について触れ、
一体に代議士になる奴は身体が大きい。議場で子鼠のやうに見ゆる奴でも廊下で逢ふと普通の人並みはある。平均の目方をとったら世間の平均よりぐっと上になるだらう。
目鼻口身体の道具立てがまた大袈裟だ。確に常人より怪異だ。人間のあらゆる欲望を露骨に肉体に噴き出さした為めでもあらうか。闘鶏の
このような自説を表明している。
まず、卓見といっていい。
確かビートたけしの書いた本にも似たような
近く、読み返してみるか。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓