数理で全部を割り切れるほど、闘争とは浅くない。
生きて、物を考える、心を
「強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ」とは、そのあたりの要諦によく通じたるものである。
通常、上の金言は、西ドイツのサッカー選手、フランツ・ベッケンバウアーが1974年に発したものと看做される。
が、実はそれより三十年以上もむかし、一日本人の肺腑から、ほぼほぼ同じ文言が飛び出していたということは、認識しておく価値がある。
その男の名は、菅礼之助。
裸馬と号す、俳人にして実業家だった。
時は昭和十四年、寒月照らす新春の候。ロータリークラブの会合で、菅は演説を頼まれた。議題はズバリ、双葉山の不調について。昭和十一年以来、あらゆる土俵に勝って勝って勝ち続け、ついには六十九連勝なる前人未到の記録を樹てたこの横綱は、しかし七十連勝を安藝ノ海に阻まれて以後、うそのように勝てなくなり、黒星を重ね、誰もが予想しなかった三連敗を喫する破目になっていた。
(双葉山の土俵入り)
これがどれほど社会を震駭させたかは、当時に生きた者でなければわからない。
ついには双葉山自身の口から、
――俺は相撲がわからなくなった。
こんな告白を聞くに及んで、混迷は頂点に達したのである。
「双葉山に何が起こっているんだ」
「再起はいったい何時になる、あいやそもそも、出来るのか」
誰も彼も、寄ると触るとその話題で持ちきりだった。
見通しこそが必要で、幸運にも菅礼之助は押しも押されぬ相撲通。暗夜の燈台みたいなものだ。ロータリークラブの会員は、ここぞとばかりに飛びついた。
「あいつに解説を頼もう」
と、意見を一致させたのである。
もっとも当の本人は、
(買い被りだ)
と、内心尻込みしたのだが、さりとて場の雰囲気はとても遁辞をゆるさない。
やむなく立った壇上で、礼之助は細々とした技巧論など弄さなかった。開幕一番、
「双葉山の三連敗は、ただ負けたから負けたのだ」
それ以外にあるものか――と、禅の公案みたようなのを振り回し、衆の度肝を抜いたあと、
「一たい相撲は強いから勝ち弱いから負けるのではありません。強い者は屹度勝ち弱い者が屹度負けるときまってゐるものならば何故に諸君は木戸銭を払ひ、時間を割いて相撲の見物などに行かれるのでありますか、少くとも私はそのお付合ひは御免を蒙ります」
「要するに相撲は強いから勝つのでありません。弱いから負けるのでもありません。勝つから強いのであります、負けたから弱いのであります。角力道は此一点から以外には出発点がありません、ありやうがありません」
たたみかけるような勢いで、一気に自説を披露し抜いたわけである。
クラブメンバーは拍手喝采で礼之助をねぎらった。
全員、身体の内側が、変な具合いに痺れてる。
白昼天狗に襲われでもしたかのような、わけのわからぬその衝撃を、あるいは感動と取り違えたのやもしれず。礼之助自身一連の情景を回顧して、
――日本人は西洋人に向って固くなって挨拶をする時にわざと作り笑ひを頬に浮べて、何が可笑しいのかと相手を訝らせる癖があるといはれるが、日本のロータリー・クラブの紳士は余りよくわからない演説を聞いた時に限って無性に大きな喝采を轟かす癖があるのかも知れないと思った。
若干の皮肉を籠めて書いている。(『随筆 うしろむき』)
とまれかくまれ、礼之助演説を眺めるに、サッカーと相撲で競技の違いこそあれど、論旨はベッケンバウワーと限りなく一致したものだ。
道を窮めて行き着く先は同じという実例か、それとも
いずれにせよ、古書渉猟の醍醐味を堪能できる発見だったのは疑いがない。出逢いに恵まれるとは嬉しいものだ。趣味を通して、つくづく実感させられる。
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