およそ門外漢にとり、財政演説ほど眠気と倦怠を催すものは他にない。
頭の中にソロバンが入っていない身としては、小難しい専門用語と無味乾燥な数字の羅列がべんべんだらだら、連なりゆけばゆくほどに、意識は白濁、五感はにぶり、阿呆陀羅経でも聴いてるような徒労感がただ募る。初っ端から最後まで、集中力を保っていられた
なればこそ、興味を持たずにいられない。
一八五三年四月十八日、英国下院議会にて、実に五時間ぶっ通しという長丁場の財政演説を試みながら、誰一人として退屈させず、出席者すべてを魅了した、ウィリアム・グラッドストンの雄弁に――。
(演説するグラッドストン)
いったい何をどうすればそんな奇蹟が叶うのか、とっかかりすら想像不能。かぐや姫の五つ難題にも匹敵し得る無謀な挑戦。そう看做しても、決して過当でないだろう。
しかし現にグラッドストンはこの演説の成功で、「ロバート・ピールを凌駕して、小ピットとも肩を並べる雄弁家」との、抜群の声価を克ち取ったのだ。
ジョージ・ラッセルが筆記している、
「予算は下層階級の生活の安定に資するを目的として編成された。普通の営業税、動力税、郵税、生活必需品税及び其他の消費税を全廃又は軽減し、これより生ずる欠陥は、相続税、酒税等を若干増率すると共に所得税を一時復活してこれを補足せんとするのであった。
而してグラッドストンが此政策を説明する演説は、実に議場を魅了した。彼は無味乾燥の数字を叙ぶるに当っても、あらゆる洗練せられたる辞句を用ひ、聴者をして一個のリンゴや一片のチーズにも興味を持たしめ、製茶を真剣に考へしめ、又一枚の郵便切手や郵便馬車に関してさへ微細の注意を喚起せしめずんば止まなかった」
斯くの如き筆致で以って、偉業達成の瞬間を――。
(ロンドンの下町、八百屋前)
もとより隔靴掻痒のもどかしさは否めぬが、それでもしかし、まあ、ざっと、雰囲気の把握には役立とう。
たった一人の漢の気迫に、揃いも揃って満堂が圧せられていたわけだ。
「最も剛毅な軍司令官の資質あり」と評されるだけのことはある。マグマみたいな熱血を通わせている者にして、漸く可能な芸当だった。
さて、そんなグラッドストンが。
やあやあ我こそ第二、第三のグラッドストンと――次の時代の演壇の覇者たらんと志す、夢多き英国青年のため。特に書き下ろした心得がある。
あるいは秘訣と呼ぶべきか。達人による、雄弁術の指南であった。
「一、用語は平易を尊び、簡潔を選ぶこと。
二、句もまた出来る限り短く切ること。
三、発音の明瞭を心掛けること。
四、批評家や反対者を待たずして予め自ら論点を考検すること。
五、論断につき再思三考して十分にそれを消化し、適切の語を迅速に拈出する練習をすること。
六、思考を論題に集中し聴衆を見守ること。
しかし此等のすべてが具備したからとて何人も直ちに雄弁家とはなれぬ、真の雄弁家には此等の根底に於いて燃ゆるが如き信念が無ければならぬ」
腹だ。腹だ。「腹から声出せ」。人と人とが相対して語るとき、重要なのは顔より
肚を練らねば、他人は動かせられんのだ。
そういう趣意であったろう。
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