穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

幽魂鬼哭 ―母と子と―


 躊躇していたネタを書く。


 迂闊に触れると妙な団体を刺激しそうで「壺」に封印していたのだが、客観視するとどうだろう、そういう自分が如何にもなにか物に怯えて縮こまっているようで、薄みっともなく姑息でまた情けなく、真夏の暑さも手伝って、積もり積もった不快の念がついに臨界に触れてしまった。


 いわばヤケッパチで書く。


「物言わぬは腹ふくるるわざなり」だ。恐縮だが、しばしお付き合い願いたい。

 

 民俗学にまつわる話だ。――アイヌの古い習俗だ。

 

 

 


 身重の娘が分娩前に不幸横死した場合。あの人々は遺骸を埋葬する前に、大きく膨れた胎を裂く。


 裂いて、開いて、臓腑をかきわけ、未熟な赤子を取り上げる。


 むろん弔いの一環だ。


 死後切開で摘出されたみどり児を、死体と化した母のかいないだかせて、その格好で諸共に葬ってやるためである。


「現にこの慣例は近年までアイヌの間に伝へられ、この役に当る者は、部落中で胆の座ったフチ(老婆)である。なほ奥州にも、地方によっては二、三年前までも、これが残ってゐ、また愛媛県下にも、これを伝へてゐる地方があるさうだ」――民俗学者中山太郎が昭和三年、雑誌『東北文化研究』上に発表したるものだった。

 

 

 


 なるほど確かに大正初年、内務省の手で編纂された『民政史稿』を捲ってみても、

 


上総国武射群地方には天明飢饉の頃より堕胎及嬰児圧殺を為すもの漸く多く、俗に之を間引きと称へ、郷閭敢て之を怪むものなく、甚しきに至りては、若し産婦の死亡するときは嬰児哺育の道なきより、死者の幽魂冥途に迷ふなどの迷信を以て、嬰児を生きながら母の棺中に容れ埋葬するものすら之あり

 


 これこの通り、アイヌわざの亜種めいた記録が発見できる。


 切開こそ伴わないが、母子を共に葬るという構図自体はよく相似しているだろう。


 当時、出産は命懸けの沙汰事だ。産褥熱での死亡なぞ珍しくもない。その棺の何割に、産まれたばかりの赤ん坊が添えられたのか、想像するだに痛ましい。凄愴酸鼻の極みとは、斯かる情景を描写するため存在している表現法ではあるまいか。

 

 

Home Ministry

Wikipediaより、内務省

 


「果たして、どちらが源流もとだろう」


 中山太郎そこ・・に興味を持っている。「内地に行はれたものはアイヌのそれに学んだものか、それとも独立して発生したものか」。残念ながら現時点では確証を持つまで至ってないが、さりとて永遠にこのままにはしておかぬ、何時か必ず解明してくれようず――と、そういう熱意に燃えている。


 なんともはや、怖いもの知らずで結構なこと。いやしくも「学究」を名乗るからには、この程度のひたむきさ・・・・・、必須条件ということが。禁忌タブーなんぞを恐れていては、真理は遠ざかるばかり、新発見・新機軸なぞ、とてもとても――。


 そんな風に訓戒された気さえした。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ