穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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旅愁雑考 ―道、遙かなり―


 旅の楽しみとはなんだ?


 見たこともないものを目の当たりにし、味わったことのないものを舌の上に乗せること、どれほど雄渾な想像力を以ってしてでも追っつかぬ、「リアル」に圧倒されること、総じて未知に触れること。世界観を拡張される快さ――とどのつまりは福澤諭吉が言ったところの、「天然に於て奇異を好む人のサガを満足させるこそに在る。

 

 

 


 この「天性」を解説するため福澤は、実例を多く添付した。

 


山国の人は海を見て悦び、海辺の人は山を見て楽む。生来其耳目に慣れずして奇異なればなり。而して其これを悦び之を楽むの情は、其慣れざるの甚しきに従て益々切にして、往々判断の明識を失ふ者多し。フランスの南部は葡萄の名所にして酒に富む。而して其本部の人民には甚だしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が南部に遊び又これに移住するときは、葡萄の美酒に耽溺して自から之を禁ずるを知らず、遂に其財産生命をも併せて失ふ者ありと云ふ」

 


 フランスワインの質の高さは折り紙つきだ。


 普仏戦争に際しては、侵攻してきたドイツ兵をも虜にしたと聞き及ぶ。


 掠奪しては大いに呑んで、ふと気がつけば体質変化、もはやビールばかりでは満足しきれぬ細胞組成に変化っていた。戦後平和が恢復されて祖国に引き揚げた後も、あの芳醇な液体が欲しくて欲しくて堪らなく、ために輸入激増し、その利益によりフランスは、むしり取られた賠償金をみるみるうちに補填した――と、そういう逸話さえもある。


 身代潰しのアル中どもを生産するならお手の物。魔性を帯びた酒なのだ。さてこそ魅力がいや増そう。

 

 

French taste of wines

Wikipediaより、フランスワイン)

 


 むろん福澤の掲げた例は、フランスのみにとどまらぬ。


 国内にも目を向ける。

 


「又日本にては貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘を嘗めて自から禁ずるを知らず、唯これを随意に任して其の飽くを待つの外に術なしと云ふ。又東京にて花柳に戯れ遊冶に耽り放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして必ず田舎者に多し。然も田舎にて昔なれば藩士の律義なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るゝこと少なき者に限るが如し。是等の例を計ふれば枚挙に遑あらず、普ねく人の知る所にして、何れも皆人生奇異を好て明識を失ふの事実を證するに足る可し」

 


 深窓の令嬢が庶民の暮らしに憧れる、そこで育った不良児に、無闇矢鱈と恋の炎を燃え上がらせる。


 あるいはまた、貴顕富家の坊ちゃん育ちが軍に入ってシゴかれたがる、「本物の男になるために」とか嘯いて。

 

 

(『ナポレオン -獅子の時代-』より)

 


 これらもまた、福澤が上で指摘した「ヒトのサガ」の例として加え入れていいだろう。


「枚挙に遑あらず」とは、なるほどよく言ったもの。きっとこれからも数限りなく展開される、人情劇の一典型に違いない。

 

 

(パリ、オペラ座前)

 


 人生万事小児の戯れ、人とはなんと他愛ない。


 他愛ないと認識して更に尚、その戯れに本気になって打ち込める、それがどうやら修養の初歩、「人物」たるの必須条件であるらしい。


 いやはや道は遼遠だ。

 

 

 

 

 


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