穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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サムライ×シャーク ―洋上の試刀―


 人間、暇が嵩じると、その単調を破るため、とんだ・・・遊びを仕出かしたがる。


 退屈の蓄積量に従って、「遊び」の規模や突拍子なさが倍加する。


 海の荒くれ野郎にとって、は格好の玩具であった。

 

 

 


 旧海軍の士官等は、あまりに無聊を託ち過ぎるとこいつを捕えて甲板上に吊り下げて、日本刀の切れ味の「試し」に具したそうである。


 淋漓と溢れた鮮血に、足をとられてすっころび、頭を打って瘤を作ったオッチョコチョイめの笑話が残っているあたり、秋水はよく鮫肌を裂いたと見て相違ない。


 大したものだ。


 シャークvsサムライである。


 なんだかその種のB級映画のタイトルみたいな感じになった。

 

 

 


 大坂城の落ちて後、遠くルソンあたりまで逃れんとした豊臣方の敗兵が、しかし中途で鮫に襲われ、むさぼり喰われ、死に際に爆発した怨念により、なんか上手いこと悪霊と化し、自分を喰った鮫の身体を逆にのっとり、手下を率いて復讐のため江戸湾へと押し寄せる――そんな電波を、なにやら咄嗟に受信した。


 きっと最後は天海和尚の法力で悪しき軟骨魚類の群れは片っ端から爆裂四散、江戸徳川が泰平を謳い、エンドロールが流れる一方、虎口を逃れたほんの僅かな生き残りの鮫どもが、光も射さぬ海底でひそかに牙を尖らせるとか、そういう〆になるだろう。


 個人的にvs系の映画では、フレディvsジェイソンが好きで、何回も観た。『エイリアンvsプレデターも割と秀逸な出来だったかと記憶する。

 

 

 


 まあ、映画の話はこれぐらいにして。


 大航海時代、新大陸で暴れまわった冒険者も、鮫とは縁が深かった。


 ときに脅威で、ときに遊戯の「お相手」だった。


 ホセ・デ・アコスタというイエズス会士が書いている、

 


「海岸にできた池に、たわむれに四つ切の駄馬を高くから吊してひたしたところ、においをかいで、鮫の一群がすぐやって来たのを見たこともある。面白がって、肉を水面から何パルモ(一パルモは約二十一センチメートル)か吊り上げたところ、そのならず者たちは、そばにやってきて、とびはねだし、空中を一撃して肉骨もろとも、驚くべき早さでかみ切り、馬のひかがみを、レタスの茎かなにかのように千切りとってしまった。鮫の歯牙には、それほど鋭い切れ味があるのだ」

 


 刺激たっぷりな情景を、『新大陸自然文化史』なる著書に。――

 

 

JoseDeAcosta

Wikipediaより、ホセ・デ・アコスタ)

 


 サメ映画の異様な充実ぶりといい、あの肉食魚のいったい何がこんなにも、人の浪漫を掻き立てるのか。見当もつかぬ。いやさ不思議な現象だ。

 

 

 

 

 

 

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