「入浴の際、殊に貧血衰弱者は、凡そ盃半杯の醤油に、番茶五六勺を注ぐか、又は生鶏卵一個を割りて、稍々多目に醤油を入れたるものを飲みて入浴すれば浴後疲労を覚えず」
陸軍軍医で栄養学にも造詣深き明治人、石塚左玄の案出せし養生法だ。
つい先日、サウナで汗を流した後に池に入って溺死した、二十代男性のニュースを聞いて反射的に想起した。
いったい日本人というのは風呂好きな民族だけあって、それに因んだ健康術の探求も、相当古く且つ多い。
有名どころでは、曲直瀬道三の教えにもある。
「日本人は湯あみ再々してよし、然れども毎日垢をかくべからず。夫れは月の中五六度なるべし」
湯に浸かってもボディソープは用いない、肌を強く擦っては駄目との「やり方」は、今日に於いても一部で行われているが、道三はその鼻祖でもあるか。
「折々庭中にて地団太を踏むべし。是も腰にて踏むべし。或は前後左右へ一二尺づつ飛びならふべし」
これも曲直瀬道三の言。
風呂とはべつに関わりのない、脱線する話だが、足踏み健康法の価値に気付いているのが面白い。
徳川家康も青竹踏みをやっていたと聞き及ぶし、戦国人の智慧というのも、どうして馬鹿にならないものだ。
「暑月の外、五日に一度
今度は貝原益軒である。
曲直瀬道三と異なって、入浴自体を慎むよう勧告している。
皮膚へのダメージ云々よりも、湯あたり乃至湯疲れを警戒したのではないか。そんな気配が、どうにも強い。
「夏日炎天に水を桶に入れて温め、湯になりたるに浴すべからず、俄に中暑す」
原南陽の奨めであった。
前二者に比すれば世間的な知名度は落ちるが、紛れもなく名医たるを失わぬ。
敢えて言われるまでもなく、そんな真似する奴アない――と考えるのは、科学文明に囲まれ育った近代人の傲慢だろうか。
ガス無き時代、風呂を焚くのも一苦労だったのはわかる。
手間を省きたがるのはごく自然な人情だ。太陽光の湯沸かし利用を思いついた横着者が、たぶん、相当、居たのであろう。
しかも結構な割合で不幸な事態に陥った。
風呂はやっぱり陽ではなく、火で立てるのが吉らしい。失敗から学んだわけだ。知見とは、犠牲を糧に進むもの。基本中の基本であろう。
原南陽の墨痕に、ある種凄味が宿るのは、そのあたりの機微につき、よくよく通じていたからか。
「飢人に食を与ふるに、先づ赤土を水に掻き立てたる上水を、半杯ほどか、厚朴を煎じたるを一杯ほど飲ませたる後にすべし、此二法を行はずして食せしむる時は、直ちに死す」
前時代より人文遥かに発達すれど、江戸はまだまだ命の軽い時期だった。
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