困った。
何も浮かばない。
文章の書き方そのものを忘れてしまったかのようだ。
くしゃみと一緒にありとあらゆるアイディアが、
花粉の迷惑、極まれり。もはや立派な公害である。解決のため、官民挙げてもっと真剣になるべきだ。……ここまでの段にしてみても、たったこの、これ、百五十文字を書くまでに十五分以上かけてしまった。話にならない生産性の低さであろう。
スランプの見本みたいな状態だ。
こういう場合、しかし捗らないからといってキーボードから離れると、病状はますます悪化する。体験に徴して明である。腕を覆う
冗談ではない。たかだか杉の生殖活動、嫌味ったらしい薄い黄色い微粒子ごときにこれ以上、我が習慣を掻き乱されてなるものか。無理矢理にでもなにごとかを書くべきだ。
書けないという苦痛自体をネタにしてでも、とにかく筆を動かすのが吉である。
そう思ったとき、宮島だった。
左様、宮島幹之助。
(Wikipediaより、宮島幹之助)
伝染病研究所技師、つまり北里柴三郎の腹心と呼べる医学士である。本邦寄生虫学の草分け的存在である彼の名が、ふっと脳裏に去来したのだ。
大正十年前後であったか、科学に対する一般の興味を振興せしむ――つまりは啓蒙活動の一環として、宮島は新聞に筆を執り、肩の凝らない随筆めいた小篇をいくらか寄せたことがある。
その中に、「蚤と蚊」というごくごく身近な吸血虫を主題に据えた品があり、これがことさら濃い印象を私の中に残してくれたものだった。
あの害虫どもはなかなか死なない。存外なしぶとさを発揮して、あくまで現世にしがみつき、退治んとする人間を手こずらせることしょっちゅうという。
「除虫菊を燻しても蚊は五分位で斃れるが、そは一時的の麻酔で、真に殺すまでには八時間も其煙の中に置かねばならぬ。故に除虫菊の蚊やり線香を用ひて麻酔せしめ、動けなくなった蚊はこれを掃き集めて、一緒に潰して了はなければ、やがて又生き還る」
「最も人畜に害が少く蚊を殺す方法は、石炭酸と樟脳を等分に混ぜ、温めて能く溶かし、室の容積千立方尺に対し、此混合液三十匁を浅い皿に入れ、下からランプで熱することである。すると液は蒸発して白い煙が立つ。之で燻せば蚊は間もなく死滅する。但し煙を火に触れしめぬやう注意しなければならぬ」
「蚤は案外抵抗力が強く、薬品などで一時死んだ様に見へても、或る時間の後には、再び蘇生して、活発に運動もすれば、又吸血もする。試みに蚤を水中に入れると、容易に死なず、アルコールでも、蚤を殺す力は無い。昇汞水、石炭酸、ホルマリン、石灰乳等の可なり濃厚な液でも、蚤に対しては効力が頗る薄い」
「ペストの流行に際し、厳重な消毒法を幾回も行った病家に、モルモットを放って蚤の有無を調べると、消毒前と大差なく、多数の蚤の生存を見る」
この不死性が、いま欲しい。
これぐらいの復活力を、せめて文章能力に宿らしめたいものである。
洟をかみつつ、大真面目に考えた。
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