いやもう、怒髪天を衝かんばかりと言うべきか。
公使遭難の報を受け、当時滞在中だった英国人らは軒並み色めきたってしまった。彼らの激昂ぶりたるや、予測を遥かに上回る、日本の要路一同を冷汗三斗に追い込まずにはいられない、猛烈無上なものだった。
慶應四年二月三十日、パークス暗殺未遂事件の際の景色を述べている。
(Wikipediaより、襲撃されたパークス一行)
「コルシカ人の語に、一人殺さるれば一人を殺すといへる事あれども、吾等は是に倣ふ事無く宜く一人殺さるれば千人を殺すの心を以て復讐を行ふべし。吾等一度命令を下せば日本は外国の才智兵力に屈服せざる事を得ず。日本人若し頑固なるときは遂に印度人の轍を履むに至るべし」
物騒にも程がある、こんな啖呵を切ったのは、横浜にて発行中のとある英字新聞の記者。
堪忍袋の内側で、癇癪玉を弾けさせつつ書いたのだろう。耳の穴から噴出するけむりまで目蓋に浮かぶようではないか。
思えば北清事変に於いて、ドイツ公使ケプラーが清兵により白昼撃ち殺された場合も、カイザーの逆上凄まじく。「皇帝は過日遣清海兵に向て演説の際最も激昂の状にて、復讐と云へる語を三たび繰返せり」と『東京朝日』の通信員に素っ破抜かれたものだった。
(北清事変、連合軍の北京入場)
公使を傷付けられるというのは、畢竟そういうことなのだろう。国の面子を傷付けられるも同然である。黙って引っ込む馬鹿はない。もし居たならば臆病者を通り越し、売国奴の領域だ。憤激はもはや、義務に等しい。
且つまた同時にこの――パークス暗殺未遂の際の――文章は、十九世紀イギリス人がインド人らをどんな目付きで見ていたかをも、暗に物語っている。
記事は更にこう続く。
「畢竟日本人をして其陋習を改め、公平の法を守らしめんが為には、大軍を上陸せしめて国内に攻入り、軍艦を以て海岸を囲まざるを得ず」
つまりはこれが要するに、「インドの轍を履ませる」ということなのだろう。
百五十年後、イギリスの
驚愕する・しない以前に、そも現実を受け止めきれず、呆けた顔で案山子みたいに突っ立つのではあるまいか。
(Wikipediaより、リシ・スナク)
なお、ついでながら記しておくと、一連の英字新聞に日本語訳をつけたのは、黒澤孫四郎なる男。
明治二十四年には司法局刑事局長として大津事件を取り扱う人物である。
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