穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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魂叫


 貧は罪の母という。


 その象徴たる事件があった。


 姉による、弟妹どもの抹殺である。

 

 

(『江戸府内 絵本風俗往来』より、子供の盆歌)

 


 主犯――長女の年齢は、事件当時十七歳。この長女が


「水遊びをしに行こう」


 との口実で十歳になる弟と、十二歳の次女、二歳の三女を伴って近所の小川に出掛けてゆき、そして自分一人しか戻らなかった。


 あるいは淵に突き落とし、あるいは捩じ伏せ、無理矢理沈め。小川の水を凶器とし、他三人をことごとく溺死させてのけたのである。

 

 

 


 事件に先駈け、この一家では母親が世を去っていた。


 その影響は甚大だった。口さがない言い回しを敢てするなら、典型的な下層に位置する血族だ。


 父親は朝から晩まで身を粉にして働いて、その稼ぎで辛うじて餓死をまぬがれている状態である。


 とてものこと、家庭を顧みている余裕などない。


 その切り盛りは、母親一手にまかされていた。


 ところがその宰領役が消えたのである。


 空白を空白のまま放置すれば、たちどころに機構全体が崩壊しよう。


 前述した理由から、父親はとても当てにできない。


 結句、白羽の矢を立てられたのが、


 ――長女


 だったわけである。かつて母が負担していた重責は、そっくりそのまま彼女の背中に横すべりした。


 十代に背負いきれる重さではない。


 ごく順当に、彼女は潰れた。潰れた果ての凶行である。計画の段階では、弟妹どもを始末したあと自分も同じ水に入って死ぬる心算であったという。

 

 

 


 が、こればかりは計画だけに止まった。「ひとり残される父親のことを考えると、不憫でならず」とのちの調べで供述したが、真意かどうかはわからない。心中する気まんまんだった若者が、いざ相手の死骸を目の当たりにするに及んで急に心の梁が折れ、泡を食って逃げ出すのはごくありふれた現象だ。

 

 ――やがて長女がお縄となって。


 事態の把握と裁決のため、この一家の親類縁者が呼び出され、証言を求められたとき。誰も彼もが詳しいことを語る以前に、まず悲嘆の涙に袖を濡らした。


 それを見て、長女の瞳に憤怒が浮いた。


 赤い口をかっと開け、


「なんのつもりだ、今更になってなんの嘆きだ」


 雷鳴の如く叫んだという。


「あんたらのところへ出掛けていって、お願いどうか助けてください、一家を救って下さいと、両手を合わせて頼んだ私ら姉弟に、あんたらは何をしてくれた。何も、何も、何一つ、してくれやしなかったじゃあないか。この期に及んでふざけるない、なんのための涙だ、そりゃあ――」


 一同、顔色を変えたのは言うまでもない。


 長女の言い分はもっともだった。


 畜生なら畜生らしく、どこまでも義理人情を知らずに通せばよかろうに、ちょっと足下がグラつくと途端に人間の皮を被りだすから嫌われる。


 所詮、一撃されれば手もなく剥げる、付け焼き刃に過ぎまいに。

 

 

(『江戸府内 絵本風俗往来』より、子供の遊び)

 


 以上の話は昭和七年、野添敦義『女性と犯罪』に実例として記載されていたものだ。


 この長女が最終的にどんな刑に服したか、遺憾ながら野添の筆はその部分まで及んでいない。

 

 

 

 

 


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