穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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大工と牢獄 ―江戸時代の奇妙な掟―


 これもまた、みそぎ・はらえの亜種であろうか。


 新たに獄舎を建てるたび、囚人がひとり、牢から消えた。


 江戸時代、将軍家のお膝もとたる関東圏で行われていた風習である。

 

 

Edo P

Wikipediaより、江戸図屏風に見る初期の江戸)

 


 消えた・・・といっても、べつに彼を生き埋めにして火災除けの人柱とし、その上に獄舎を建てたとか、そういう薄暗い類のお話ではない。


 むしろその逆、慶事といっていいだろう。


 彼は解き放たれたのだ。


 罪を赦され、娑婆に還った。よって牢から姿が消えた。ただそれだけの事である。


 恩赦と呼んでいいのだろうか。たかが獄舎の新築程度で大袈裟なと思われるやもしれないが、こうでもしないと大工どもが働かないので仕方ない。


 江戸時代の牢獄が如何に苛酷な、ほとんど地獄と変らぬ場所であったかは、敢えて今更詳述するに及ぶまい。劣悪を極めた衛生環境、牢名主を筆頭とする畸形的権力構造は、囚人を更生させるのではなく、じわじわといたぶり、衰弱死させるための施設と指弾されようと抗弁の余地はないだろう。


 そういう苦悶の坩堝を建てるのは、如何に相手が悪事を犯した不心得者であろうとも、恨みの標的まとにならざるを得ない、因業深い仕事である。斯くの如き発想に基き、大工はこれを厭がった。

 

 

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(『江戸府内 絵本風俗往来』より、職人の作事場急ぎ)

 


「お上」としてはどうにか彼らの心をなだめ、作業に従事させねばならない。


 だからこういう展開になる。

 


 延宝六年(西紀一六七八)前橋で、牢獄が破れたので、その建替を命じたところ、大工共は、大工の作法として、牢屋建直候節咎人一人御免被成候掟にて候とて、牢屋工事を請負ふと同時に、罪人一人の赦免を願ひ出たので、止むを得ず澤村庄右衛門といふ咎人一人を赦免したとのことである。(昭和十二年、山崎佐著『法曹瑣談』230頁)

 


 獄舎ひとつを建てるたび、罪人ひとりを赦免する。


 以って後味の悪さを雪ぎ、大工どもに安心感をくれてやる。


 そういう仕組みが、四代将軍の治世に於いて既に運用されていた。


 民意の汲み取り、なんと鮮やかな手並みであろう。


 てやんでえバーローちくしょうめェ、臆病風に吹かれたか、いいからさっさと尻を上げろやコンニャク玉ども、怨霊こわさに公儀の御用を袖にして、タダで済むとは思うなよ――と。


 感情まかせで高圧的に臨まぬあたり、人文の進歩が実感される。

 

 

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フリーゲーム『東方ライブアライブ』より)

 


 なお、蛇足を承知で触れておくと――。


 江戸から現代、数世紀の時を経ようと一貫して変わらない、牢屋社会の通則がある。


「性犯罪者は見下される」、「ヒエラルキーの最底辺に組み込まれる」が即ちそれ・・だ。

 


 武士道を重んじた幕府時代にては、不義、敗倫を最も憎み、且つ卑しみたる思想が、一般庶民にまで伝はって、同じ犯罪者の中にても、姦罪者をば殊の外侮蔑したものである。例へば姦通罪にて入牢せる者は、他の犯罪者から、いたくさげすまれたるが如きこれである。牢内にて巾を利かす者は、何といっても強盗殺人の如き大罪人で、さういふ者は却って他の囚人より尊敬せられて、威張って居る。(昭和七年、海老名靖著『性的犯罪考』230頁)


 或る強盗殺人の牢名主の懺悔した話に、俺は強盗殺人で、背負ひ切れぬほど罪を重ねて居るが、人の女房を盗んだことと、女を辱めたことだけはない。これがせめてもの、俺が閻魔の庁に引き出されても恥ずかしいことはないと、言ったやらといふことが、或る本にあるが、全くそれの如く、姦通や強姦などは、肩身が狭かったのである。(283~284頁)

 

 

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 人の女に手を出すなかれ。重ねて四つを逃れても、ロクな未来が待ってない。


 くわばら、くわばら。

 

 

 

 

 

 

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