二十世紀初頭、排外的民族主義の骨頂はオーストラリアに見出せた。
白濠主義をいっている。
有色人種を叩き出し、かつ侵入を防遏し、彼の地を以って白人の楽土たらしめること。この至上命題を達成すべく、どれほどの知恵が絞られたのか。それについては以前一通り触れたところであるゆえに、敢えてここに繰り返さない。
(オーストラリア、メルボルン市街)
ただ、新たな事実として、一九〇二年の連邦議会で、
「白濠主義は外国の安価労働の侵入に対する保護政策である。従って好ましからざる外人労働者の生産品を輸入することもまた、その人の移住とともに排斥すべきものである」
このような発言があったことを書き添えておく。
発言者はアルフレッド・ディーキン、保護貿易党の領袖であり、翌年首相になる男。
関税法をめぐっての、審議の最中の出来事だった。
頂点からして
だからこういう光景が成立する。
日本国旗を翻す堂々たる郵船会社の船も、一旦濠洲の法律が行はれる地域に錨を投じては、有色人の労働を拒否する厳重な労働法に拘束せられねばならぬ。船員が荷物の上げ卸しに手を貸しても忽ち警吏の眼は光って労働法違反の鉄槌を下して来る。ウインチを巻くもの、荷を運ぶものすべて白人労働者である。しかもかれ等の不敏活さ実に一驚を喫するやうな状態であったが、敏捷は濠洲労働者の敵である。働き過ぎては為すべき職がなくなると、甲板に佇んでゐた濠洲通の一人がささやいた。濠洲は白人労働者のユートピアであるとは、予て聞き及んではゐたが、先づその模範的荷役振りを目撃して、成程とうなづいた次第である。
昭和初期、学術研究目的でオーストラリアに渡った邦人、大島正満の旅行記である。
そりゃあ確かに、仕事は手の抜き方を心得てこそ一人前とよく言われるが、それにしても、これはまあ。
こうなってくると鉄道軌間が各地でバラバラになっているのも、あるいは態とかと勘繰りたくなる。
例えばニューサウスウェールズ州の線路の幅は一四三五ミリであるというのに、お隣のヴィクトリア州では一六〇〇ミリが敷かれているといった具合いに、規格が統一されてない。
だから列車が州境の駅に達すると、貨物や乗客やらを乗せ換えるためいちいちてんてこ舞いになる。
一見すると無駄な手間、非効率の極みだが、手間がかかるということは、それを処理する人の手が、一定数欠かせないということで。
雇用の確保、「白人労働者のユートピア」、白濠主義を維持する上で多少の貢献があったのではなかろうか――。そんな愚考が、ふと浮かぶのだ。
(濠洲、ブルーマウンテンに敷かれた鉄路
実際問題、わが国でも平賀源内がアスベストを発見し、これを素材に今で云う防火シートを拵えて、「火浣布」と名付け、幕府に売り込みをかけた際にも、
――火事がなくなることは嬉しいが、そうなると多くの火消しや大工、左官の連中が失職する。
との理由から、すげなく却下されている。
こういう思慮のめぐらせ方をする奴は、古今東西どこにでも、一定数存在するのでなかろうか。
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