エネルギーの空費ほど人情に反した、許され難き行為というのもないだろう。
自然のより効率的な利用方法。限りある資源から能うる限り最大の利益を引き出してこそ「万物の霊長」、知性体の面目躍如といっていい。
そのための努力の痕跡は、世界各国いたるところに残されている。
たとえば地熱だ。
昭和初頭の鹿児島県では、温泉の熱を用いての製塩事業が行われていた。
ほとんど同時期、ユーラシア大陸を挟んだ向こう、アイスランドにあってはこれを、主に洗濯に活用していた。
「炎と氷の島」などという異名が示すそのままに、アイスランドは火山活動の極めて旺盛な土地である。定期的に噴き出す熔岩、有毒なガス。夏でもせいぜい10℃余りがいいとこの平均気温と相俟って、彼の地にあっては森林らしい森林をろくに見かけることがない。
旅行者の言を借りるなら、「樹木は精々一丈ぐらゐの灌木だけで、森といっても馬が通れば頭のかくれぬ藪ばかり、他は概ね草原か、熔岩流のそのまゝ裸出したところで、その草地にも羊が放牧されてゐるので、芝生の刈跡見たやうで」あったということである。(『世界地理風俗体系 北極地方』276頁)
まず以って、「荒涼」の二文字が頭に浮かぶ。
げに恐るべき荒涼だった。
森林がないということは、すなわち薪――暖をとるための燃料の、一大不足に直結している。石炭も乏しい。輸入品で賄おうにも、当時はまだまだ交通網が未発達もいいとこで、内地の隅々に至るまでこれを安定して供給するなど、はっきり夢物語に属す。
頼みの綱は泥炭、湿地帯を探せばふんだんに見つかるこの軟らかな堆積物に他ならなかった。
(Wikipediaより、泥炭と暖炉)
生命線であるだけに、「泥炭地は、大抵町村の共有で、その一部には大きな所蔵庫を設け、部落のものはそれぞれ一定の金を出して、これを掘っては乾かして後、倉庫に貯蔵して置く」との措置がとられた。(同上)
「一定の金」を出せないほどに困窮している人々は、インドの一部地方の住民みたく、羊の糞を乾かして燃料とした。
(泥炭の集積地)
こういう環境に置かれた者が、地の底よりほとんど無尽蔵に迸出する熱――温泉に目をつけるのは、必然の道理といってよかろう。前述の通り、活発な火山活動の恩恵で、温泉はアイスランドじゅう何処にでも湧く。『世界地理風俗体系 北極地方』が世に著された昭和六年時点では、大小合わせて七百が存在していたそうである。
…レイキャビクの市内にはこの温泉を利用してゐる市営の洗濯所までがある。汚れた着物はここで洗って建物の中に乾かして置く。誠に便利な設備である。けれどももっと贅沢になると家庭へまでこの温泉を引いてそこで着物や食器の洗濯に使ってゐる。(275頁)
(温泉を用いた洗濯所)
「寒さは工夫を通してより賢い人間をつくる」。
さる高名な極地探検家の箴言である。
その実例を目の当たりにするようで、これはなかなか快い。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓