私の小学生時代。同じクラスに、重度のガンダムファンが居た。
本編を
ウイングガンダムならばXXXG-01Wといった具合の、
このややこしい数字とアルファベットの配列を正確に記憶していたし、機体のトン数や頭頂高を訊ねても、常に即答して外さなかった。
武装については言うまでもない。∀ガンダムに積まれている縮退炉が如何に凄まじい代物か、頬を紅くして語る姿を今でもありありと思い起こせる。
(なんという男だ)
私が彼を見る目には、畏れにも似た感情が、蔽い難く滲んでいたはずである。
この旧友が小泉信三に酷似していると気がついたのは、ごく最近になってから。慶應義塾元塾長たるかの御仁の随筆集、『一つの岐路』を読み込んでいるときだった。
船は単なる物体ではない。それは活き物である。人間と同じく船には国籍というものがある。そうして動物を愛する青年があるように、船を愛する少年があるのは、少しも不思議ではない。私もその一人であった。況や軍艦をや。私は帝国軍艦の写真を集め、また、しきりに軍艦の画を描き、軍艦のトン数、速力、馬力、備砲等を暗記する少年になった。
思わず声を上げかけた。
これが男のサガであろうか。
本能と換言してもよい。少年は少年であるゆえに、無骨な兵器に血を煮立たせる。
いいも悪いもない。二元論を超越して、それはそういうものなのだ。
(戦艦「長門」)
旧友と次に再会したら、この話で盛り上がろうか。いやしかし、彼は小泉信三の名前など、聞いたことすらないだろう。
書くのと喋るのとはまた違う。うまく説明できるかどうか。なんともはや悩ましい。
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