久方ぶりに医者の随筆を手に入れた。
昭和十七年刊行、宇佐美洋著『耳と鼻』なる一冊だ。
既に日米戦の火蓋は切られ、砲火も酣な時期であるのに、「聖戦」とか「共栄圏」とかいった単語がちらりとも顔を出さないあたり、貝田勝美の『研究室余燼』に酷似している。
記されているのはひたすらに、耳鼻科医としての自己の経験に関することのみ。敵性言語であるはずの英語の類も平気で使う。統制の極みに達しつつある当時にあって本書の如きが刷られたことは、それだけでもう一種偉観とするに足る。
――さて、そんな宇佐美先生の診た中に。
あたかも雛見沢症候群の末期状態を思わせる、途轍もない患者が存在していた。
「自分で扁桃腺をとった大学生」というのが、すなわちそれだ。
痩せ型で、度の強い眼鏡をかけている以外、とくにこれといって特筆すべき外見的特徴を持たない彼を一躍紙上の人とならしめたのは、喉奥に兆した些細な痒みこそに由る。
(……?)
これが日中、覚醒時なら、咳払いの一つか二つで終わっただろう。
が、時刻は深更、彼の意識は夢と現の境界であやふやにまどろむ局にある。
茫洋とした精神は、手っ取り早い解決を求めて直接的に過ぎる手段を選ばせた。
喉の奥に指を突っ込み、
肉がこそげ落ちるまで、そげても止まず、
ひたすらに掻き毟り続けたのである。
そのうち血がどばっと溢れて気管に入り、噎せた拍子に豁然と正気を取り戻すのだが、しかしその時にはもう既に、「右の扁桃腺が殆んど全部抉り取られて、其処からどんどん出血して」いる状態だったということだ。
圧迫したり、薬で腐蝕したりしてみたが、止血しさうに無い。一本の血管から出血してゐるのでも無いから結紮も出来ない。已むなく縫合して止血せしめた。今迄にかなり出血したらしく、手も服も血で染ってゐた。付添の人も無いので、其儘何も喋らず、何も訊かずに帰宅させた。(196頁)
(Wikipediaより、針付き縫合糸)
よほど執拗に指を動かし続けぬ限り、とてものこと、こうはなるまい。
その猟奇性がニュースでも取り上げられた話題作、『ひぐらしのなく頃に』に登場する架空の病、雛見沢症候群の罹患者も、重篤化に従ってリンパ腺に痒みを覚え、死ぬまで掻くことをやめられなくなる。
どうであろう、
おまけにこの大学生は
翌日再び訪ねてきた彼を診て、宇佐美医師は渋面をつくらざるを得なかったという。
血こそ確かに止まっていたが、縫合糸は影も形もなくなっており、詰めたガーゼも引き抜かれ、傷口がパックリと開いていること、見るだに痛々しいばかりであった。
そのくせ本人の受け答えは至って軽く、陽気ですらあったのだから堪らない。なにか、人間の皮を被った両生類と話しででもいるかのような、名状し難い不気味さを感じずにはいられなかった。
(Wikipediaより、白川郷の合掌集落。雛見沢村のモデルとされる)
寝惚けてみずから掻き毟ったという告白も、このとき聞き出したものである。
「痛くなかったの?」
「痛くなかったですよ、夢ですから」
と平気な顔をしてゐる。(中略)
今でも彼は毎日学校へ通ってゐる。キョトキョトと前かがみに、いつも忙しさうに歩いてゐる。逢ふとニコニコして挨拶してゆく。折があったら彼の家の人に、彼の日常の生活や、其時の有様などを、一度よく訊き度いと思ってゐるが、こちらから訪ねてゆく訳にもゆかず、矢張り疑問符のついたままである。(197~198頁)
人の内に、いったい何者が潜むのだろうか。
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