穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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焔の上に舞う鷙鳥

 

 駄目だ。


 なんというか、本当に駄目だ。


 花粉の野郎がいよいよ猛威をふるい始めた。


 粘液の分泌が止まらないのだ。ティッシュペーパーの消費量は増すばかり。身体の内側、掻きたくても掻けない場所が痒いというのは人間性ガリガリ削り、自制も理性も餡を抜いた最中もなかよろしく空洞化して、人目も憚らずのたうち回りたくなる瞬間が、日に幾度となく去来する。

 

 

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 寝る前に限ってくしゃみが止まらなくなったり、鼻が詰まったりするのは何なのだろう。布団の繊維が、花粉を捉えて離さないででもいるのだろうか。なんと余計な真似をするのだ。


 おまけに家の内外を問わずマスクを着けっぱなしにしていたがため、とうとう耳が痛みはじめた。


 絵に描いたような踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂の姿であろう。


 意識を集中、まとまった思索を営もうにもまるで砂を握るが如く端からボロボロ零れ出す。ここ数日来、とにかく私は駄目になってしまっているのだ。


 斯様な精神状態に至っては、焼畑農業の描写さえ一つの慰安になるらしい。眼で文字列を追いながら、燃え落ちる林叢をごくさりげなく杉林に変換し、悦に入っている自分に気付き、慄然とせざるを得なかった。

 


…火の燃え上る時、鷙鳥は腐肉を漁らんとて、逃げ迷ふ猿及び蛇の退路を遮断し、空中より嘴を怒らして群り襲ふ。パチパチ燃ゆる大木は暫し焔と闘ふも、幹焼けて赤き炭となれば爆然地上に倒れ、恐ろしき音を立て我が生を惜むものゝ如し。朝には枝も幹も皆白き灰と化し了りて、昨日の栄華の陰もなく空しくコーヒーの肥料となる。(大正四年、伊達源一郎著『南米』147~148頁)

 


 ブラジルにてコーヒー農園を拓くための一幕である。

 

 

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( エーロ・ヤルネフェルト 「賃金奴隷」)

 


 同書によれば、焼畑農業と一口に言ってもただ燃料をばら撒いて火を放てばいいのではなく、そこにはちゃんと「上手い」「下手」があるそうだ。


 例えば巨木に対しては予め斧で切れ目を入れておき、どの方向に、どのタイミングで倒れるかを調節しておく、といった具合に。そういう小手先の糾合がゆくゆくは、全体的な火の勢いや焼却範囲のコントロールに繋がるのだとか。


 あらゆる行為に技術を見出す余地がある。


 技術立国日本の復活を願う身として、これは悪い味わいではない。


 機能不全を起こしがちな脳味噌に、多少の清涼感を与えてくれた。

 

 

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