穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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繁栄の条件 ―国際場裡の腹黒さ―

 

 来るべきものがついに来た。


 大日本帝国帝政ロシア国交断絶を突き付けたのだ。


 もはや極東を舞台として一大戦火が巻き起こるのは誰の眼にも不可避であった。風雲急を告げるこのとき、もしも彼らに発声機能があったなら、


「俺たちはどうなるんだ」


 と、腸を引き絞るようにして叫んだろう。


 二隻の軍艦、日進・春日のことである。

 

 

IJN Nisshin at Malta with U-boat

 (Wikipediaより、日進)

 


 いや、船というのは女性名詞(She)で扱うのが一般的らしいから、彼女たちと呼ぶべきか?


 まあいい。とまれかくまれ、この二隻は新造艦。アルゼンチンの注文を受け、イタリアのアルサンド社が建造していたものであり、それを大日本帝国が横から買い取った形であった。


 買ったはいいが、さて、国交が断絶されたこの時局下で、彼女たちをどうやって、生まれ故郷の地中海から遠い遠い極東の海まで安全に送り届けたものか? 要路一同、大いに悩まざるを得なかった。


 みすみす敵戦力の充実を、指をくわえて傍観してくれるほど、ロシア人とは生温い相手ではないだろう。下手に動けば好餌とされる。黒海艦隊がえたりとばかりに飛び出して来るに違いない。さすれば所詮は多勢に無勢、運命は決まったようなものだった。


「どうにか英国の艦隊に護衛してもらうわけにはいかぬか」


 このような意見が、海軍から提唱された。


 日英同盟という、インクの跡もまだ生々しい、締結間もなきこの紐帯に縋ろうというわけである。

 

 

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(英国海軍軍艦旗

 


 なるほどロイヤル・ネイビーの囲みがあれば、さしものロシア人とて態々喰ってかかりはしないだろう。たかだか二隻の艦を目当てに、どう考えてもリスクに見合わぬ暴挙であった。


 さっそくその旨、先方に働きかけてみる。


 ところが期待はいとも容易く裏切られた。イギリスはまるで秋霜の如き厳しさで、


「交戦国でない以上、左様なことは出来ぬ」


 キッパリ断ってのけたのである。


 日本側の失望は甚だしかった。

 


「道理かも知れないが不人情だ、日英同盟が何んだと蔭では大分憤慨した連中もあったよ」

 


 感慨深げに回顧するのは林董


 グレート・ホワイト・フリート来航時にもさんざん骨を折ったこの人は、日露戦争前後に於いて駐英公使の任に在り、その都合上、日進・春日騒動のことはよく知っていた。


 知っているどころではない。


 中核に居た一人といえる。


 護衛の頼みを断られてから数日後のことだった。林董は英国側から一報を受ける。まるで懐に忍ばせるように密やかに、こっそりと通告されたこの情報こそ、日進・春日の前途を拓くものだった。

 


「英国の地中海艦隊の軍艦何々が、何日マルタからスエズ経由で極東に向ふ事になって居る、此段御報告に及ぶとナ、護衛ぢゃない、偶然英国の軍艦は日進、春日と相前後して極東へ差遣されたのだなア」
 老伯はゆるやかに紫煙をふかしながら、会心の追憶に笑を洩してる。(大正十五年発行、下村海南著『思ひ出草 一白の巻』9頁)

 

 

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 なんという巧みなやり口だろう。


 これこの通り、列強と呼ばれる連中は、目的を遂げるに当たって生一本な突撃などまずしない。必ずや、裏道・抜け穴・搦手門をぬけてゆく。


 ときに魔術的ですらあるその手練手管に、日本人は常に翻弄され続けた印象だ。例えば悪名高き排日移民法にしてみても、その条文の何処を探せど、


「日本人には~の権利を認めない」


 とか、


「日本人には~を禁ず」


 とかいった、つまりは人種や皮膚の色を以ってする文句は発見不可能なのである。


 アメリカ人は建国の理想たる「平等」の看板はそのままに、しかし現実には特定人種を差別し排斥する手法を確立していた。


 具体的には、帰化権の有無をタネとした。

 

 

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 1872年7月以降、合衆国は市民権所得の条件に「白人及びアフリカ人であること」を盛り込んでおり、黄色人種たる日本人はむろんこの中に入らない。


 彼らはここを目ざとく利用し、


「およそ米国に帰化することを得ざる国民は云々」


 と、もってまわった表現を駆使して意を遂げた。


 抗議を試みる立場としては、これほど面倒な仕組みはない。なにしろまず字義の解釈から始めなければならないのだ。その作業に時間と労力をすり減らしている間に、事態はどんどん取り返しがつかなくなってゆく。


「目的のためには手段を選ぶな」とはよく言うが、ここまで徹底すれば壮観だ。


 米国はまた、1963年の部分的核実験禁止条約でも実に鮮やかな帝王学を発揮している。

 

 

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 この条約。


 ただでさえ長ったらしい名前だが、どうかひとつ我慢して、更に長ったらしい正式名称に目を通していただきたい。


 大気圏内、宇宙空間および水中に於ける核兵器実験禁止条約という。


 見ての通り、「地下」は禁止範囲に含まれていない。


 この条約はアメリカ・イギリス・ソ連の間で調印されたものである。


 三ヶ国とも、大気中の核実験などとうにやり尽くした後であり、データの蓄積は十二分に済んでいた。


 あとは地下核実験だけでも、問題なく核兵器開発は可能であろう。


 おまけにこの条約を締結すれば、表向き「核なき世界」を目指している平和国家をアピール出来る。国内のかまし・・・・もなだめられるし、新たに核兵器所有を目指す不届き者を「平和の敵」と大きな顔で弾劾する権利までもついてくる。


 なんとお得な取り引きだろう、一石二鳥とはこのことではあるまいか――。


 徹頭徹尾、彼らは計算ずくだった。


 国際場裡に於いて生真面目さとはすなわち悪だと、つくづく思わざるを得ない。


 生き残り、繁栄するのはいつだって、腹の中身が真っ黒なやつだ。


 舌が複数枚あればなおのこと良い。

 

 

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