コンが重なりゃだまされる
福島県のとある地方に古くから伝わる俚謡である。
一献、二献と酒量の単位を表す「献」と、狐の鳴き声たる「コン」をかけたわけだ。
悪い出来ではない。私はこれを、昭和五年の小雑誌、『禁酒之日本』八月号中に見出した。
むろん、今更言うまでもなく、私は大の愛酒家である。
憂いを掃うこのありがたき玉帚を手放すなど考えられない。
だがしかし、己と反対側の立場から書かれた文章を読むというのも、たまにはいい刺激になるものだ。
それに何より、酒を攻撃する文章を、酒を片手に読むというのはなにやら背徳的な悦びがこみ上げて来て快い。肴として、実に上等なものがある。
たとえば灘の名酒の一つ、「白鹿」に向けられた批難の激しさときたらどうであろう。命の雫といっていいこの飲み物に、禁酒家たちは「シタタカ毒水」とルビを打ち、醸造主たる辰馬吉右衛門を「不生産的事業主」とこき下ろした。
(Wikipediaより、白鹿記念酒造博物館)
あまつ吉右衛門が事業を拡大するために、130万円の工費を投じて前浜町の一角に4500坪の大酒造蔵を建てようとすると、彼らはほとんど発狂同然の様を呈し、「世をあげて操短、減給、解雇、罷業、怠業等々深刻なる不景気風が吹きまくってゐるこの秋に、その不景気の一大原因たる酒を造る蔵を建てようとはなにごとぞ」と口角泡を飛ばさんばかりにわめき散らして、吉右衛門主宰の宴会に出席した人々を「亡国連合軍」と罵倒するに至っては、とても素面では読めない下りではないか。
対立者の人格否定すら厭わぬ攻撃性は、なにやら昨今のヴィーガンに相通ずるものがある。
もっとも、総ての記事がこんな調子なわけではないのだ。いいことを言っている奴もいる。
衆議院議員・長尾半平がこの八月号の巻頭言として寄稿した、「美名の下に暗影あり」という小稿など、非常な名文といっていい。
(Wikipediaより、長尾半平)
長尾はまず乃木希典の自決に触れ、その後群発した見るに堪えない醜状の数々を報告している。なんでも将軍の墓標に近き青山通りの小店には、当節乃木せんべいとか乃木まんじゅうとかいった品々が並び、この聖将の威光を借りて金儲けを企んだ輩が少なくなかったと。
――一連の事実から読み取れるように。
兎に角よき名のあるところには、また必ず好ましからざる暗い影が伴うて、却ってその徳を傷つけることがあるものだ。我々が展開している禁酒運動にもどうやらその翳りが忍び寄りつつある、共産主義やマルキシズムなど、危険思想の隠れ蓑にされぬよう、大いに警戒せねばならない――要約すればこんなところか。
流石に後藤新平に見込まれて、鉄道省に引き抜かれただけはあり、よく事理に通じた忠言である。
しかしながら同じ八月号の巻末に、「禁煙水」などという見るからに怪しげな広告が掲載されているのはどういうことか?
「如何なるタバコ好きも禁酒水で二分間全く煙草嫌になる」と記してあるが、おやおや商品名は禁「煙」水ではなかったか。
だいたい二分間だけ嫌煙家になったところで意味はなかろう。三分後にはもうケロリとしてまたぞろ紫煙をくゆらせているようではなにがなにやら分からない。
それともこれは、効果が出るまで二分を要するという意味か?
だとすればまことに都合のいい、そんな魔法の液体が、現代に伝わっていないのは如何にも不自然に思われる。畢竟「水素水」などと同様、ただの水を高価で売りつけるための方便ではなかったか。
長尾の危惧が、さっそく現実になった形である。
これ以外にも『禁酒之日本』を捲っていると、ソヴィエト連邦をして帝政ロシア時代と比べ、酒の害を根絶した点理想的な国家になったと讃美する記述に屡々出くわす。
コミンテルンの公式発表を真に受ける、この連中のあどけなさよ。
ソ連人民が如何に密造酒の製造に熱心で、場合によっては工業用アルコールを蒸留してまで酔いを求めたということに、彼らはとんと無知だった。それでこのような写真を載せて、
「酒を飲まぬソヴエットでは、体育が盛んで、かうして婦人までが団体的に体操や競技をする」
と浮かれているのだから幸せなものだ。どうもこの連中は酒の害を除こうとして、もっと悪質な「酔い」を引き込んでしまったようである。
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