欧州大戦の余燼が未だくすぶっていた時代――。
ロンドン西郊に泰然と聳える男子全寮制のパブリックスクール、イートン・カレッジに長年奉職した老教師が、日本国を訪れた。
この歓迎役を務めたのが今村繁三。青年時代イギリスに留学、ケンブリッジ大学で文学士の学位を受けた今村は、むろんイートン・カレッジについてもよく知っていた。
(Wikipediaより、今村繁三)
創立が1440年まで遡れる由緒正しさ、重厚なるゴシック様式から成る校舎、両手の指を総動員してなお足らぬほど多くの首相を出している実績。すべて、すべて今村の脳細胞に刻まれている。
成蹊園――現在の成蹊大学に続く――を財政的に支援していた今村としては、是非とも何か話を引き出し、今後の資本としたかったろう。そこでまず、
「あなたの教鞭の下に立った人には、偉い人が沢山居ます」
と水を向け、彼の教育上に於ける功績、如何に大かを讃美した。
ところがこの老教師は少し視線を動かしただけで顔色も変えない。やがてゆるゆると、色の薄れた唇を開いて発した言葉は、
「イートンから偉い人が沢山出たと言う事は、当り前の事で誇りとするに足らぬ」
という、彼の気位が想像の十倍も高いことを思わせるようなものだった。
「ただ、誇るべきは」
と、恐縮する今村をよそに老人は続ける。
「今回の欧州戦争で討ち死にしたのは、イートン出の者が最も多かったということだ」
「どのような精神教育の方針から、そのような事になったのでしょう」
「自分は今日まで、イートンボーイに
「では」
その「本源」は何処にあるのか、と、今村はこれこそ彼から得たかった肝心要、値千金の教訓ゆえに、執拗な詮索を敢えてした。
――わかりきったことを。
老教師は単純な数学の公式を問われたような面持ちで、
「無論、家庭である」
と答えたという。
以上は波多野承五郎が、今村繁三の口から直接聞いたエピソードだ。
前回の記事でも触れた通り、波多野は慶応義塾の出身。今村も英国に渡る前、慶應義塾幼稚舎に通っていた経歴がある。
ある種の先輩後輩と言ってよく、その縁で親しく話を交わすこともあったのだろう。
(慶応大学の銀杏並木)
英国紳士と言ふ言葉は、ヨーロッパで男子の典型のやうに考へられて居る。夫れは真面目で、率直で、真剣味のある中にユーモアの気分を湛えて居る磊落型の性格を有する人の事だ。英人をジョンブルの綽名で呼んで居る。ブルとは牡牛だ。剛健にして且つ鈍重味があるところから、斯う言はれたのだ。(『梟の目』90頁)
英国人を評価すること頗る高く、日本人も彼らの長所を積極的に取り入れてゆくべきだとかねてより主張していた波多野である。
今村繁三の話に随分と感銘を受けたらしく、
英国紳士が男子の典型だと言はれるのは、一は、鈍重なる磊落気分に満ちて居るからであるが、学問は飯を食ふ為の学問ではない、品性を作りあげる為に、イートンにも行けばケンブリッジ、オックスフォードにも入るのだと言ふ観念があるからだ。而して
このように自説を発展させている。
EU離脱が承認された欧州議会で衝撃的な――まことに衝撃的な――演説をファラージ党首がぶちかまし、なにかと話題を呼んでいる今日。こうした記述を、改めて掘り返すのもいいだろう。
波多野や今村を魅了したジョンブル
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