穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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文明の継承者 ―ジョン・ラスキンとセシル・ローズ―

 

 

 生れてから自分は、こんな汚い町を見たことがない。もう数ヶ月間、雨が一滴も降らない。温度は日向で160度、日蔭で97度だ。町から5マイル四方に一本の木もなく、草を見ようと思ったら、20マイルは行かなければならない。家という家は、悉くナマコ鉄板。喉を通らないようなまずい食物。道路に舗装などはしてないから、道といっても砂と石ころと穴だらけ。空気は半分は埃で、あとの半分は蠅だ。
 自分は空気を吸っているのではなくて、埃を吸っているのだ、という気がした。だからダイアモンドなんて、二三日したら、もう見るのもいやになってしまった。

 


 イギリスの小説家トロロープが記したキンバリーの評である。


 文中で言及されている通り、南アフリカ共和国西部に位置するこの町は、かつてダイアモンドの産地であった。

 

 

Big Hole Kimberley

 (Wikipediaより、キンバリーのビッグホール)

 


 それもちょっとやそっとの鉱脈ではない。
 この地でダイヤモンドが採れると判明した1867年当時に於いては、紛れもなく世界最大の鉱区であった。


 キンバリーでは平地の砂を掘るだけで、もうゴロゴロとダイヤモンドが湧いてきて、抱えきれないほどである――そんな風説が伝わるや、たちどころに世界中から実業家・企業家・冒険家・浮浪人といった面々が殺到。が、トロロープのように想像を遥かに凌駕する文明社会との隔絶ぶりにあっという間に胆をひしがれ、ほうほうの体で退散した者とて少なからずいただろう。

 


 しかしながら、セシル・ジョン・ローズはそうでなかった。

 


 ロンドン近郊の牧師の家に生を享け、16歳で肺を病み、学業の中途退学を余儀なくされて、静養のため南アフリカに送られたセシル・ローズ青年は、のっけからこの地がひどく気に入ったという。


 事実、やがて健康を取り戻すやセシル・ローズは早速ツルハシを手に取って、どこから見ても非のうちどころのない坑夫と化し、ここキンバリーでダイヤモンドの採掘作業に勤しむのである。


 彼の働きぶりは大したもので、とてもこの間まで肺を患っていた男と同一人物とは思えず、二年後には現代価値換算で年収5000万円の身代にまでのし上がっていたのだから凄まじい。

 

 

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 飛竜乗雲という四字熟語は、まさしく彼のためにあるような言葉だ。


 だが、セシル・ローズの真価が発揮されるのはここからのこと。
 ここまでは、所詮準備段階に過ぎない。まさにここから、セシル・ローズの英雄性が躍如として来るのである。


 若くして財を成したセシル・ローズは、一度祖国イギリスに帰還した。
 中途で諦めざるを得なかった、学業を再開するためである。そうして彼はオックスフォード大学に入学した。


 しかも学んだのは、経済学でも政治学でもましてや自然科学でもない。


 彼は古典を学んだのである。


 遥か古代の、ギリシャ・ローマの文献に、セシル・ローズは没頭したのだ。


 ここが凡百の成金連とセシル・ローズとを分かつ、明確な一線であったろう。彼の大学入学はポーズではなかった。彼の熱意は本物だった。彼は真実、学びたいと思ったから学んだのだ。
 自由意志の発露からなる学問への打ち込みが、どれほど当人の血肉になるかは敢えて論ずるまでもないだろう。セシルはまったく理想的な学徒であった。


 おまけに更に幸運なことに、このオックスフォード在学中、セシルは無二の恩師に出逢う。


 自分が進むべき方向をはっきり指し示してくれる、預言者の如き大哲人に、だ。


 その哲人の名を、ジョン・ラスキンといった。

 

 

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 ラスキンについては細かくあれこれ説明するより、オックスフォードで教鞭を執っていた時代、彼が屡々学生に向かって説破した演説を見てもらった方が良い。

 


「青年よ、諸君の前に、今偉大なる運命が佇んでいる。全英国の青年よ、諸君は、諸君の祖国を、再び王の玉座と為し、王威燦たる島と為し、全世界の光明の源泉、平和の中心と為さんとするの雄志に燃えざるか。
 その使命到達のためには、我等は植民地を全世界に打ち建て、我等の手の及ばん限りの空地を占領し、その植民地に、母国に対する忠誠の念を教え、英国の権力を地上水上のすべてに拡大することが、英国国民の第一義務なることを信仰せしめなければならない!」

 


 この演説は実に2000年以上も昔、アテネの絶頂期に史家トゥキディデスが記した、

 


「我等は文明の魁、人類の先駆である。我等のむれに入り、我等の交わりに加わることは、人間として享有し得べき最上の慶福である。我等の勢力範囲に入ることは隷属にあらずして、特権である」

 


 と、驚くほどに軌を一にするものである。
 アテナイの精神は、確かにイギリスに受け継がれていた。

 

 

 

 


 ラスキンの獅子吼はみごとセシル・ローズの脳髄を直撃し、血液という血液を瞬間的に沸騰せしめ、皮膚に無数の粟を生まずにはいられなくした。
 さもありなん。この瞬間セシル・ローズは、自分の生れてきた意味を完全に理解したのである。


 すなわち、大英帝国の完成。
 世界征服。
 英国の国威をアフリカへ、アジアへ、アメリカへ、その次は天上の星々の世界にまで拡大すること。
 彼の生涯の主題は、この一点に集約していた。


 完璧だ。男子青雲の志として、これ以上に模範的な例はない。人として、男としてこの世に生まれてきた以上、斯くの如き勇壮なる志魂を養うべきであるだろう。セシル・ローズを英雄の殿堂に加えることに、私は一点の躊躇も挟まぬ。

 

 

Cecil Rhodes - Project Gutenberg eText 16600

 (Wikipediaより、セシル・ローズ

 


 セシル・ローズ1902年にこの世を去った。
 享年49歳。
 死因は、心臓病の悪化と云われる。
 生涯妻を娶らなかった。周囲に女の影がちらついた形跡もない。典型的な、「国家と結婚している」タイプの人物だったのだろう。

 


「人間の理想がその男の死とともに終わるという考えぐらい、馬鹿げたものはない」

 


 そう語った男の遺骸は彼自身の希望に則り、喜望峰を北に行くこと1500マイル、マトボの荒野に聳え立つ「精霊たちの丘」マリンディジムに葬られる運びとなった。
 その頂上に穴を穿ち、棺を納め、


「セシル・ジョン・ローズ、ここに眠る」


 と掘られたレリーフを打ち付けたとき、集った数千人の黒人たちは、大酋長を葬るときの例に倣って50頭の牛を屠り、慟哭し、


「我等の父は死したるぞ」


 天に向かって、そのように叫びあげたという。

 

 

貿易商人王列伝: 会社が世界を支配した時代:1600~1900年

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