アニメ『魍魎の匣』を視聴したときの衝撃は、今でもはっきり思い起こせる。
なにしろのっけから箱詰めにされた美少女の生首が登場するのだ。ましてやその生首の眼がくるくる動き、唇を開いて声さえ発する――生きているとあっては、度肝を抜かれぬわけにはいかぬ。
めくるめくほど濃密な、幻想狂気の世界であった。
この「匣の中の娘」が、まんざら創作の中だけの存在でないと知ったのは最近のこと。それは地方巡業の見世物小屋の花形で、一般に「ハコビク」と呼び習わされていたという。
見世物小屋といえば、河童のミイラだとかろくろ首とか太さが子供の腕ほどもあるエジプト産の白ミミズ――正体は豚の大腸に鰻を詰め込んだもの――だとか、そうした日常の風景ではまずお目にかかることのできない妙ちくりんな代物をずらりと並べ、見物料を客からせしめる商売である。
『ダレン・シャン』のシルク・ド・フリークをイメージすれば、まず間違いはないだろう。
今でこそほぼ絶滅したといって差し支えのない見世物小屋だが、PCどころかテレビすらない大正・昭和のあの時代には随分な盛況を誇ったもので、数えきれないほどの無智で純朴な田舎者が目を丸くして「見世物」たちの一挙一動に感嘆していたものである。
彼らの期待に応えるべく、興行主の方も日夜研鑽を怠らなかった。
もっと奇抜な見世物を!
もっと驚異的な芸を!
もっと、もっと人心を沸き立たせる何かを! 、と――そうした追求の過程で生まれ落ちた「新商品」のうちの一つに、「ハコビク」も含まれていたのである。
ハコビク――女性を意味する俗語たる「びく」と「箱」とをくっつけた、直截な名であるだろう。
初出は、大正の半ばあたりであったらしい。
高さ10センチ、縦横60センチ程度の板の上に座布団を敷き、更にその上に髪を乱した女の生首が飾られてある。
しかも驚くべきことに、この生首は生きているのだ。
見物客と視線が合おうものならば、
――生首だけでも情けは同じ、見染めたお客さんがあるわいな。
などと歌ってにこりと笑い、相手の心胆を寒からしめた。
その仕掛けというのは単純至極で、板が地面に置かれているのがポイントである。
そう、実は板にも座布団にも穴が空けられていて、生首娘の胴体以下は、地下に掘り下げらた空間に収納されているに過ぎないのだ。
誰でも思いつきそうなネタではあるが、実際にやるとなると女優の苦労は尋常一様なものでない。特に冬の地下はたいへんな寒さで、穴の中に湯たんぽや火鉢を入れておいても危うく凍えかけたという。
生理現象も無視できない。見世物小屋の興行は朝から晩まで、ほぼ一日中続くこととて珍しくない。
その間、一度も用を足さないでいるのは生物として不可能だ。しかし生首だけで生きていると客に対して触れ込んだ手前、ちょっとお花を摘みにと穴の中から這い出すこともこれまた出来ない。
結局小用だけは穴の中でも済ませられるように設えたのだが、「大」の方はそうもいかず、女優の忍耐力に100パーセント委ねる以外なかったそうな。
斯くの如き「生首娘」が出現以来、改良に改良を重ねられ、元号が「昭和」と改められた丁度その頃、誰かがこれをただ野晒しにしておくよりも、箱の中に入れた方がより客に与えるインパクトが強いと気付き、以後一般的な形式として広まった。
「ハコビク」の呼び名の誕生である。
日本全国、至る処にこの「匣の中の娘」たちは姿を現し、悲愴なること真に迫った口ぶりで、憐れなる身の上話を狭い場所から奏で上げた。
それが大いにウケたのだから、なんとも狂気的な光景だ。
しかしながらこの狂気に「幻想」の二文字を附すべきか否かについては、大いに疑問の余地が残ろう。
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