西洋文明とコカの最初の接触は、1533年、スペインの軍人であるフランシスコ・ピサロが200名弱の兵を率いてペルーを征服したときだった。
原住民たるインディオにとって、コカほど神聖なものはまたとない。その葉を噛めばたちどころに悲しみは癒え、もう一歩も動けないほど蓄積していた疲労感さえ溶けるが如く消え去るのである。
魔術的なまでの薬効に、信仰が生まれるのは必然だった。彼らは墓前にコカの葉を置き、神々への捧げものにもあてがうなど、祭事の方面でも大いにこの植物を利用した。
当然、新たなる支配者がこれを見逃すわけがない。
数多くの探検家がコカの葉を噛み、結果得られた快感についてあちらこちらで吹聴し、「コカの葉を噛んでいる瞬間こそ、わが生涯最良の時」と放言する詩人まで現れた。
やがてコカの葉が単に快楽をもたらすだけの代物でなく、人体を深刻に蝕む性能をも併せ持つことが判明すると、流石に文明社会の表舞台から引っ込みはしたが、「原産地」での使用は相も変わらず行われ続けた。
何故か。
彼ら西洋人にとって、新たに獲得した領土を切り拓き、植民事業を推し進めて行く上で、その方が都合がよかったからだ。
なにせ原住民たちときたら、どんな重労働を強いられようが劣悪な環境下に置かれようが、コカの葉さえ与えておけば大人しく言うことを聞くのである。人道に配慮する必要がまるでなく、効率だけを唯一絶対の価値基準と看做していいなら、誰だって同じ選択をするだろう。
(Wikipediaより、コカ)
かくして南米のコカ・チューイング事情は何百年もの間放置され、ピサロが目撃した当時とほとんど何も変わらぬまま、ある意味平和で幸福な日々を送った。
その様子を、1930年に現地を旅したリヒャルト・カッツなる人物が、詳細に書き残してくれている。
ペルーにはコカノキが野生しているので、1ポンド2~3シリングという安い値で売り捌かれている。野生品の産出額は、毎月の彼らの消費量たる一人当たり1~4ポンドを遥かに超え、彼らは折に触れそれを噛んでいる内に、だんだんやめられず、しまいには年がら年中、これを手放せなくなってしまう。彼らはそうすることで「毒」が消えると信じて、コカの葉に石灰を塗りつけている。
補足しておくと、1ポンドはおよそ450グラムに相当する。
毎月毎月2kgものコカの葉をしゃぶっていれば、そりゃあ中毒にもなるだろう。それぐらいやらなければ現実が辛すぎて堪えられなかったとも受け止められるが、さて。
この地方の人々は、今も土人たちがコカの葉を噛んでいる風習を、喫煙より悪いとは考えていない。コカの葉の与える刺激がなければ、いかなるインディアンも、200ポンドの袋を運ぶことは出来ないという事実を、ここの地主たちはよく心得ているし、公平な科学者さえ同意している。
昨今の日本社会でも、よく大麻が人体に及ぼす害毒を、煙草のそれと比較したがる人々がいる。
そういう運命なのだろうか、あの嗜好品は。
コカの葉を噛む風習は、紛れもなくやむにやまれぬものとなってしまった。
何も履かない裸足の年老いたインディアンは、その日その日の食糧に持参した二つのサトウキビをコカの葉以外のものとは交換しようとしない。
コカ葉売りの女は、年老いたインディアンのサトウキビを手にとって臭いを嗅いだり、指先でいじくったりして見、それからコカの葉を一掴みぐらい、彼の差し出した帽子の中へ投げ入れてやるのである。ところが年老いたインディアンは、やにっぽい眼をしょぼしょぼさせながら、もっと下さいとせがまんばかりの風情をし、憐れにも差し出した帽子を引っ込めようとしない。
ところが時には、コカ葉売りの女の背に、ショールでおんぶしている小さい女の子が、そーっと母親の肩ごしに手をのばし、可憐な手つきでコカの葉を取り出しては、憐れにも年老いたインディアンの差し伸べている帽子の中へ投げ込んでやる。するとはじめてインディアンは満足げな顔をして、そこから立ち去ってゆくのである。
もはや彼には食うべき何物もないが、噛むべきコカの葉があり、これこそは彼にとって三度の飯よりも大事なのである。
人間世界の悲惨に絶句するべきか、それとも幼子の無垢なやさしさに感じ入ればいいのだろうか。読んでいるこっちが混乱してくる情景であろう。
無加工の葉の段階で、既にここまで人を虜にして離さぬ力が存在している。
況してや化学的工程を踏んで、薬効を爆発的に引き上げられた
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