穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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昭和四年の「共稼ぎ」八句

 

 安かったのは、背表紙が剥げ落ちていたからだろう。

 

 

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 神保町にて500円で購入した、昭和四年刊行『修養全集 11 処世常識宝典』を読んでいたときのことである。


「共稼ぎ」を主題に詠まれた短歌を集めた頁という、一風変わったものを発見した。夫の部と妻の部とにそれぞれ分かれ、これがなかなか趣深いので紹介したい。
 まずは夫の部から。

 

 

洗濯もしよう御飯も焚きませう
共稼ぎして貰ふ身なれば

 


 男子厨房に入るなかれという考え方は、このころ既に崩れはじめていたようだ。

 

 

共稼ぎさせる夫の禁物は
邪推嫉妬に無駄な干渉

 


 妻を「外に出した」場合に夫が強いられる焦慮というのはただごとではない。畜生蟲がたかりゃアしないか、ちゃんと追っ払うだろうなあいつはよ、といった具合だ。特に妻が器量よしであればあるほど、その心配は指数関数的に高まってゆく。


 うろ覚えだが、ノモンハンで戦った兵士の戦記物にもよく似た描写があったと思う。


 部隊の中にやたらと見目麗しい嫁をもらった奴がいて、そいつがよく他の兵隊からからかわれるのだ。
 さだめし後ろが心配だろう、女房殿が空閨孤独に堪えかねて、なんぞ火遊びに手を出すまいか。あの美貌なら遊び相手にゃ困るまい、それこそ引く手あまただろうぜ――確かこんな調子だったはずである。

 あわれその兵隊は、毎度毎度顔を赤くしたり蒼くしたり忙しかった。


 ままならぬのは自分の心。如何に禁物と言われても、制御しかねるものは必ずあるのだ。

 

 

交際も欠けまいけれど女房に
稼がせてゐて酒も飲めまい

たまたまに二人揃うた休日を
顔見合わせて暮らす楽しさ

 


 続いて妻の部に入る。

 

 

ありのまま良人に話出来ぬこと
をりをりあるが悲しかりけり

 


 辛くとも、守秘義務は全うされねばならない。
 立派な職業意識ではないか。

 

 

ツンとしてゐると言はれりゃ無難なり
冗談口はわざはひのもと

 


 夫の部の「共稼ぎさせる夫の禁物は 邪推嫉妬に無駄な干渉」に対応した句であろう。
 ちょっと愛想よくされただけですぐ自分に気があるものと思い込む、馬鹿な男は古今を分かたずいるものである。


 彼らに夢を見させてやるべきではないのだ。

 

 

共稼ぎする目的は生計を
助ける為と貯金するため

女房は稼がずとても貯金をば
上手にするが共稼ぎなり

 

 

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 以上八首が「共稼ぎ」主題の短歌として掲載されていたモノである。


 本書にはこれ以外にも、なかなか秀逸な警句が多い。例えば612ページから始まる「子供の躾け方二十五箇条」なるものには、

 


(11) 愛で導き涙で叱れ。

 


 という頂門の一針そのものな教えが含まれているし、更に目を転ずれば、

 

 

生まれた日
母が死なうと
した日なり
(559頁)

 


 出産の苦痛をかつてないほど鋭く抉った十七文字に出くわしたりする。


 これが500円は、やはり安い。素晴らしく割のいい買い物をしたと評してよかろう。

 良書との遭遇は、何度経験してもいいものだ。

 

 

修養 (角川ソフィア文庫)

修養 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 


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