今朝の勘定で蒼くなる
人の営みの普遍性に感じ入るのはこういうときだ。人間とは似たような愚行を性懲りもなく重ねつつ、歴史を編んでゆくものらしい。
人情の機微を赤裸々に、しかも陽気に表現する術として、
神と君とに重ね餅
女蝶男蝶の盃よりも
好いた同士の茶碗酒
こなた思へば野も瀬も山も
藪も林も知らで来た
こなた思へば千里も一里
逢はず戻れば一里が千里
宴会の座で芸者の鳴らす三味線の音に合わせて歌われることが多かっただけに、都都逸にはこの種の男女の情の
エエイ邪慳な曲り角
ほれてわるけりゃ見せずにおくれ
ぬしのやさしい気心を
なんともいじらしいことではないか。
これぞ女の深情けというものだ。
月と見るのは主ばかり
この歌は、「男」の部分を「女」に換えてもまず問題なく機能しよう。
だが、あまり調子のいいことばかり言っていると、
噛んでやりたいことがある
思わぬ火傷を負うおそれがあるので注意されたし。
人がわる云や腹が立つ
社会関係は紙一枚ですぱりと断てても、心の方は容易にいかぬ。別れたとは言え、かつての女房。ナーニ、どうせあんなのは癇癪持ちのろくでもねえアマっ子でえ、歳喰っていよいよ鬼婆の本性を現すより先に手を切れて、お前さんむしろツイてたぜ、などと言われれば、いくら善意からの発言であろうとぶん殴りたくなって然るべきであるだろう。
縞の財布が空になる
今となっては跡形もないが、丹後の宮津――すなわち京都府宮津市には、『宮津新浜遊郭』なる一大花街が存在していた。
その規模、その繁盛ぶりは祇園に匹敵したと言えば、おおよその雰囲気は掴めるだろうか。
そしてこの歌のようなことをほざく奴ほど、ほとぼりが冷めればすぐまた財布を厚くして、意気揚々とこの街に乗り込んでいったものである。
落ちて広がるどこまでも
まこと、口は禍の元。
一度漏らした秘密というのは、どんなに固く口止めしても不思議な力でいつの間にやら世間の皆が知っている。
ゆめゆめ警戒を怠らぬことだ。
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