フレデリック・ショパンは恋人を捨てた。
「捨てた」としか表現しようのないほどに、それは唐突かつ一方的な別れであった。
(Wikipediaより、フレデリック・ショパン)
原因は、益体もない。
あるささやかな集まりで、自分に先んじ他の男に椅子を勧めた。
たったそれだけ。
ただそれだけの、本来
(こんな女だったのか)
ショパンにとって、それは決して
所詮、男はみな細川忠興なのだろう。
大なれ小なれ、あの戦国人を心の底に飼っている。
自分の嫁に挨拶されたというだけで、庭師の首をぶった斬りに走り出す、手の付けられない嫉妬の鬼を。
いつぞや書いた大久保金十郎などもそうだし、岡本一平の漫画にも、
――おれの心は張り裂けるやうだ。嫉妬の強さは愛の強さに比例する。
こんなセリフが見出せる。
男にとっての鬼門は女、「女だけは必死で積みあげてきたもののとなりに一秒で座る」。これは『ハチワンダイバー』で柴田ヨクサルが示した哲理。
左様、哲理だ。
女房が絡みさえしなければ、細川忠興も心映えの涼やかな、快男児と呼ぶに相応しい大器量者であるのだが。
こういう話が伝わっている。
忠興の晩年――家康も秀忠もとうに亡い、三代将軍家光の治下、寛永年間の出来事だ。
細川家の所領に於いて、大規模な飢饉が発生した。
相次ぐ餓死者、痩せ細り、嘆く気力もなくした百姓。
為政者として放置していい事態ではない。
細川家の家督については、元和六年の段階で既に、忠興から忠利へと移譲済み。寛永飢饉の対策も、当然この息子が陣頭に立って指揮をした。
(熊本城)
人間世界は万事が万事、
このとき売っ払われたのが、安国寺片衝、または中山片衝と呼ばれる名器。文禄のむかし、父忠興が太閤秀吉より拝領したとも称される、由緒正しき逸品だった。
取引相手は酒井忠勝、お値段実に千八百両。この黄金の威力もあって、忠利は領地の危機を乗り切った。
一連の顛末を、忠興は江戸で聞き知った。
隠居後、「三斎」と号したこの人物は、中山片衝への未練など欠片も見せず、どころが逆に、
「さてさて
判断を褒め、終始機嫌よくふるまったという。
和敬清寂、利休が定めた茶道の奥に、忠興も到達しつつあったようである。
繰り返すが、女房さえ、ガラシャ婦人さえ絡まなければ、彼は本当に立派な漢だったのだ。
(出水神社の流鏑馬)
真のやきもち焼きの男には、すべてが嫉妬を起こさせ、すべてが不安の種である。そうした男にとっては、女は生きていて、呼吸をしているというだけの理由で、すでに男を裏切るものなのである。(中略)根底において、彼が女に咎めるのは、
アナトール・フランスのこの一文は、ほとんど細川忠興の精神分析であるかのように思われる。
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