つい先日、インド東部の某村で一家四人が撲殺されるという事件が起き、しかもそれが「村の災いの元凶はあの一家」とまじない師に告げられて、押しかけた十数人の村人達による犯行だったという事で、そのあんまりにもな奇抜さから一部ネット界隈を騒がせた。
インド人のこうした特殊な精神事情には、かの小酒井不木も注目しており、
ジャンシといふ所である男が娘を殺し、その理由をたづねられて、
「隣りの奴めが、娘の悪口をいひましたから、思ひしらせてやらうと思ひましてね」
と語った。(『小酒井不木全集 第十一巻』52頁)
このような記述を残している。
ジャンシとは、ジャンシーのことであろう。
インド中央部、マディア・プラデーシュ州に現存する町である。
訪れる観光客も未だ少ない、僻陬の地だ。
そうした意味では、今回の一家四人撲殺事件が発生した某村と、環境的に似通っている。かの村も、少数民族がほそぼそと暮らす辺境の地であったそうな。
にしても何故ジャンシーの方の父親は、娘の悪口を言われたつらあてに、当の娘を殺したのだろう?
そこは普通、悪口を言った隣人を襲うべきではなかろうか。
インドは男尊女卑の傾向が未だに根強い国である。
況してや小酒井不木がこれを記した、大正時代に於いてをや。その苛烈さは、このような倒錯さえ容易く引き起こしてしまうほど凄まじきものであったのだろうか。
フランスの精神病学者にして心理学者であるシャルル・ブロンデルという人は、その代表的著書、『未開人の世界・精神病者の世界』に於いて、
「未開人心裡」は、吾人と同じ精神が、ただ盲目的に活動して、気まぐれで幼稚な状態を呈したといったものではない。「未開人心裡」は、それなりに、複雑であり、統一のあるものであり、其れ自体の性質と独特の法則を持ってゐるのである。それは単に吾人の精神と異なってゐるのみならず、実際、如何なる努力を払っても、白人で文明人たる成人の心的経験から出発して、これを再構築する事は可能でないであらう。(昭和十六年、宮城音弥訳、『未開人の世界・精神病者の世界』23頁)
と書いているが、こうした事件に遭遇するたび、一連の記述の説得力が増してくる。
彼らは文明人と比べて「劣っているもの」でなく、そもそも「違うもの」なのだ。
そして、違うからこそひどく興味をそそられもする。
同じ地球人ですら、住む地域、たどって来た歴史如何でここまで精神性に差異が出るのだ。
ならば近年やたらと持て囃される傾向にある、所謂「異世界もの」の登場人物の精神性には、なおのこと差異天淵もただならぬものがなければならない。
にも拘らず、ああいうのを見ていると、どうも誰も彼も現代日本の倫理観や思考方式を搭載しているように思えてならず、醒めると言うか、いまひとつ愉しみきれない要因である。
結局のところ、リアリティの一言に帰着するのか。岸部露伴は正しかったというわけだ。
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