二十世紀初頭のイギリス政界に於ける逸話だ。
労働党の首領、ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルドと、自由党の首領、ハーバート・ヘンリー・アスキスとが相並んで演説を行ったことがある。
先んじて論壇に臨んだのはアスキスの方。彼が滔々と聴衆に向って呼びかけていると、その聴衆の中に混じっている労働党員が盛んに野次を飛ばして彼の演説を妨害せんと試みた。
しかしアスキスは俗に言う「大人の対応」でこれを無難にやり過ごし、無事次のマクドナルドへ番を回すことに成功。替わって論壇に立ったマクドナルドは開口一番、誰にとっても意外なことを言い出した。
先ほどアスキスを野次った労働党員の面々を、思い切り叱責してのけたのである。
曰く、アスキス氏は現代に於ける尊敬すべき名士である。苟も氏の演説に対し不遜の振舞いを為す者は退席すべしと、語気も烈しく糾弾してのけたのだ。
これがために聴衆は却って大なる感動を起こし、続くマクドナルドの弁舌にほとんど酔うが如く聴き入る様子を示したという。
このように、イギリスの政治家たちは「品位」というものを重んじた。
その傾向はイギリスに留学した経歴を持つ日本の政治家たちにもはっきりと顕れ、特にオックスフォードで学んだ永井柳太郎に於いて甚だしくそれが出た。
大正十年十一月、永井が東北地方の某所に於いて憲政会の演説会に臨まんとしていた時である。
彼の頭上に、まったく思いもしなかった衝撃の報せがふり落ちて来た。
当時の日本国総理大臣、原敬が死んだという。
東京駅で暗殺者の振るう凶刃にかかり、ほとんど即死したという。
そのことを報せる号外が、街で撒かれているという。
(Wikipediaより、当時の暗殺現場写真)
政友会の巨頭たる原敬と憲政会所属の永井とは、当然円満な関係でなく、事あるごとに議会に於いて火花を散らす、正に論敵同士であった。
隙あらば脚に噛み付かんとする永井柳太郎という狂犬を、歯ぎしりしながら爪先で牽制する原首相、という戯画化も或いは可能やもしれない。なにせ、
「今日の世界に於いてなお階級専制を主張するもの、西に露国過激派政府のレーニンあり、東にわが原敬総理大臣あり」
こんな演説までぶちあげて憚らないのが永井柳太郎という政治家なのだ。
敵視され、纏わりつかれた身としては、「狂犬」と視たくなるのも自然だろう。
――その「狂犬」永井柳太郎が。
原敬暗殺の報せを受けた直後の演説会場で、まず行ったのは意外や意外、故原首相の人格を縷々称揚することに他ならなかった。
永井は生前原が示した政治手腕に敬意を表し、彼ほどの政治家を失ったのは日本国にとってなんたる不幸か、計り知れない損失であると、どう見ても本物の誠意を顔いっぱいにみなぎらせ、語り抜いてのけたのである。
(Wikipediaより、永井柳太郎)
もしここで原の横死を「天誅」などと、そういった意味の単語を片言半句でも吐いていたなら永井は政治家として致命的な傷を負っていたに違いない。
だが、そうはならなかった。やはり政敵の筈のアスキスを庇ったマクドナルドの如く、品位ある態度をあくまで貫徹したことにより、永井はこの演説会を成功裡に乗り切った。
人間、こうであらねばならぬ。実にこの呼吸でいかねばならぬ。品位を失くした挙措言動は見苦しい。決して人から好かれない。よくよく自戒して行きたいところだ。
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