穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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猟師 吉村九一 ―知られざる日本の名狙撃手―

 

 山から山、谷から谷へと獲物を求めて渡り歩くが猟師サガ。なれどもしかし古今日本民族にして、吉村九一ほど広範な狩猟区域をもった人物は、或いは稀ではあるまいか。

 

 

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 上の地図は吉村自身の著書、『南洋狩猟の旅』(昭和十七年発行)の見返し部分に張られているもの。


 圧巻以外の言葉が出ない。


 ボルネオ、インドシナ、マレー、スマトラ、ジャワ、セレベス、パプアニューギニア――後年大日本帝国が進軍した南洋の国々、そのほとんどに狩りの足跡を残している。


 吉村九一。
 士族の家に生れた男だ。
 猟好きの父の影響を受け、幼いころから銃とたわむれて育ったという。


 十七で狩猟免状を受けるとすぐに、雉やヤマドリ、ウズラ、サギ、熊に猪、鹿、猿、狐、狸など、国内に棲息している動物で狩っていいものは大抵狩った。


 狩れば狩るほど、その行為の魅力にやみつきになった。已むことを知らず高まり続ける冒険心と狩猟本能はやがて九一を日本国から飛び出させ、中国、満洲南北アメリカ、ヨーロッパと、果てなき旅路へ就かしめた。


 そう、上記の地図も九一の狩猟人生全体から眺めれば、ほんの一部。


 南洋という、ごく狭い区画に限ったものでしかない。


 この男は、その生涯でどれほどの距離を歩いたのか。
 またどれほどの動物が、彼の操る銃砲によってその息の根を止められたのか。今となっては知る由もないが、共に膨大であることだけは確かだろう。

 


 思へば私の人生も、狩猟の旅に明けくれしたやうである。私は、とくに志を立てて猟師になったわけではない。ただ知らず知らず、ちゃうど磁石にひきつけられる鉄片のやうに、なかばむちうで、狩猟の道を歩みつづけたのであった。(『南洋狩猟の旅』2頁)

 


 以前、北海道熊撃ちを生業としている「凄腕」の番組を見たことがあるが、九一の狩りの流儀というのもアレに近い。
 獲物は一撃で仕留めるのである。

 

 

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 九一の狙撃の腕前は、外したところを見たことがないと言われるほどの領域で、百メートル先の猪の心臓にもただ一発でぶちこんだ。
 飛び立つ鳥の羽ばたきを聞き、姿も見ずにその音だけを頼りにして発砲しても、何の問題もなく標的を撃ち落とすことさえあったという。


 にわかには信じ難い話だが、よくよく考えてみればシモ・ヘイヘヴァシリ・ザイツェフといった伝説的スナイパーも、その前歴は猟師であった。


 ならば、五十年間たゆまず狩りの道に精進し続けた吉村九一が彼らの如き「神技」を体得していたとしても、別段怪しむには足らぬのではなかろうか。

 

 

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 武門の家柄のたしなみとして幼少時から起倒流柔術を仕込まれ、剣道唐手アメリカに渡って以後は拳闘レスリンにまで打ち込んで、鍛え上げられた吉村九一の肉体は、猟師として理想的な「仕上がり」だった。


 高温多湿の密林にも高緯度地帯の風雪にもよく耐えて、執念深く獲物を追い続ける強さがあった。


 バンコクではノルウェー人のフカ釣りに同行し、漁そのものは大漁だったものの、帰港しようと思った矢先に狂瀾怒濤の大嵐に巻き込まれ、船は難破、身一つで海に投げ出され、他の船員は全員死んでも、九一だけは三日三晩漂流した末、通りがかりの船に拾われ、なんとか生き永らえた経験さえある。


 知名度は皆無に等しいが、紛れもなく傑物であろう。 


 この国の歴史には、まだまだ面白い人物が隠れ潜んでいるようだ。

 

 

羆撃ち (小学館文庫)

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