穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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教祖みなこれ雄弁家 ―oratory―

 

「雄弁」を意味する英単語を捜索すると、oratoryオラトリ―に行き当たる。


 ラテン語Oratoriaオラトリアから派生し来った英単語だ。


 更にこの「Oratoria」を遡ると、その淵源がorareオラレという、やはりラテン語にあることが判明する。


「orare」とは「祈祷する」の意であって、その昔の欧州に於いて祈祷所をOratoriumオラトリウムと呼び習わしていたのもここからだ。


 一連の経緯を俯瞰した場合、若干論理の飛躍は要るが、雄弁の起源は宗教にありと看做すことも可能であろう。なるほど確かに釈迦といい孔子といいキリストといい、古の教祖と呼ばれる連中は、みな押しなべて際立った弁論術の持ち主だった。

 

 

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 日本人でこのことに逸早く気付いたのが鈴木正吾という代議士であって、彼は特に釈迦とキリストを選んで自らの演説道の師匠としている。

 


 私は始めて演説の門に入りました時、此の道の奥に達せんと欲すれば、宜しく斯道第一の達人を師と仰ぐべしと思ひました。而して私はこれを現代の雄弁家に求めて得ず、これを史中の雄弁家に求めて得ず、全く我流の選択ですが、私は釈迦とキリストこそ、古今独歩の大雄弁家なりと断じ、これを師と仰ぐことに決めて、二聖の雄弁遺稿ともいふべき経典とバイブルを教科書とし、時々味読して居ります。(昭和十二年、『新時代卓上演説集』370頁)

 


 独創的な試みと言える。
 聖典を「心の平穏」のみならず、処世のためにも活用したのだ。
 この試みが如何に効果的であったかを、鈴木は身を以って証明している。1932年、第18回衆議院議員選挙に無所属で立候補して初当選を決めて以来、計七度の当選を記録。ことに1942年の翼賛選挙に於いてなど、大政翼賛会の推薦を受けていないにも拘らず当選を決めた。

 

 

Japanese General election, 1942 ja

Wikipediaより、第21回衆議院議員総選挙結果)

 


 この85名の非推薦議員の中に、鈴木も名を連ねていたことになる。
 彼が如何に深く人心を得ていたか、おおよその雰囲気は察せよう。
 では、具体的にどのような演説を行い、上記の成果を招来したか。再び『新時代卓上演説集』から引いてみる。

 


 私が、一杯の水、これを毒蛇に与ふれば毒となり、これを牝牛に与ふれば牛乳になるといふ、仏典中の一比喩をかりて、選挙権の作用も亦斯の如し、これを良き候補者に投ずれば善政の乳となり、これを悪候補者に投ずれば悪政の毒となると述べた演説が、当地に於てかなり広く流行したことは、諸君御承知の通りであります。若し諸君が活眼を開いて仏典を読破せられるならば、現代社会の諸問題を演説せらるるに当り、一般聴衆を首肯せしむるに足る好個の話材、絶妙の比喩、破的の論法を意に随って発見せられるでありませう。私は諸君が世界最高の雄弁教科書として、仏典に親しまれることをお勧めします。(同上、372頁)

 

 

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 温故知新とはこういうことだ。鈴木正吾、人物である。


 しかしながら戦後の彼は、その資質に相応しい扱いを受けたとは言い難い。

 

 GHQによって公職追放を喰らい、1951年に解除されはしたものの、かつてのような常勝ぶりは発揮できず、当選と落選を繰り返し、なかなか議席に留まり続けることが叶わなかった。


 最終的には第31回衆議院議員総選挙の落選をキリに政界からの引退を表明、十年後の1977年に世を去っている。


 日本は未だ、この人物に正当な評価を与えていない。

 

 

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