穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ジーンかミームか

 

 最も高尚な仕事は子供を持たぬ人間から生じて来たのである。彼等はその身体を後世に伝えることが出来なかった代わりに、心の姿を顕そうと努めた。こうして、後世子孫のためになるような仕事が、子孫を持たない人々から最も多く生み出される。


 英国が世界に誇る大哲学者、フランシス・ベーコンの言葉である。

 

 

Francis Bacon

 

 

 イギリスはシェイクスピアよりも、彼を生んだことを以ってお国自慢の第一とすべきであるだろう。この意見には、ソリダス・スネークも賛同してくれるに違いない。そう、『MGS2』のラスボスを務めた彼である。


 ビッグボスの純粋な複製として作り出されたソリダスは、しかしながらそれゆえに、最初からその生殖能力を奪われていた。


 だからこそ「生命の意義」に対して突き詰めた思想を抱懐し、「自分は何を以って自分の生きた証を後世に残せばよいのか」ということを健常者の想像も及ばぬ深刻さで悩み抜き、ついに「サンズ・オブ・リバティー」にその答えを見出すのである。


「私は私の記憶、私の存在を残したい。歴史のイントロンにはなりたくない。いつまでも記憶の中のエクソンでありたい。それが私の『子を成す』ということだ」


 そう語った彼の姿は、まさにベーコンの言葉の体現ではなかったか。
 事実、その遺伝子を後世に伝えず、ミームだけを刻み付けて逝った偉人というのはいちいち数えるのも面倒になるほど多いのである。
 もっともベーコンの言う「子供を持たぬ人間」たちはソリダスと異なり、その能力があったのにも拘らず、敢えてその行使を選ばなかった手合いというのが大半を占めているのだが。


 たとえばフランスの小説家、『感情教育』を草したギュスターヴ・フローベールである。

 

 

Gustave Flaubert

 


 彼がその友、女流作家のジョルジュ・サンドに与えた手紙の中には次のような記述がある。曰く、


「詩の神が如何ほど統御し難いといっても、女よりは悲しみを与えることが遥かに少ない。私は詩の神と女とを調和させることが出来ないから、そのいずれかを選ばなければならない」


 そしてフローベールは詩の神を選び、女を捨てた。
 友人とはいえ女性相手に、しかも明確にフェミニスト的傾向を有する相手によくこんな手紙を送れたものである。大した胆力だと、私はその点をも評価したい。


「もし人が理性の指導に従って行くなら結婚などということはすまい。とにかく私のような息子が出来たら大変だから、結婚ということには関係しない」


 そう言ったのはやはりフランス生まれの警句家、シャンホール。いっとき革命に熱を上げておきながら、やがて革命の狂乱ぶりに幻滅し、最終的にピストル自殺を図った彼のことだ。
 この言葉には、そんな自分自身を嘲る意図も含まれていたのではあるまいか。


 アダム・スミス「婦人よりも書物の方がよい」と女嫌いを表白したし、ミケランジェロ「私は私の芸術の中に妻以上のものを持っている」と述べている。この人々がどれほど後世社会を益したかは、敢えて語るまでもないだろう。


 ただ、ひとつ留意しておくべき事柄は、だからといって無闇矢鱈と結婚を貶し、安易な気持ちで彼ら偉人に倣おうとすると間違いなく痛い目をみるということである。
 彼らほどの天才を要求するのは酷としても、最低限彼らに匹敵する情熱なくんばその生き様を模倣したところで所詮形骸に終止して、後に残るは悔恨ばかりとなるだろう。

 重ねて言うが、このことくれぐれも留意されたし。

 

 

 

 

 

 
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