私の通った学校は、どういうわけか小中ともに墓地と隣接して建っていた。
「もしや、鬼門封じではあるまいか」
中学生といえば、
私だけが例外に在れた筈もなく、こんなことを真顔で友人達と語り合ったものである。
あとあと父に訊ねると、
「土地が廉かったからだろう」
と、身も蓋もない即物的な答えが返って来て、なんともいえない気分になった。
しかしドイツはそうではない。アドルフ・ヒトラー・シューレ――通称「ヒトラー学校」は、将来のナチ党幹部を養成するべくかつて設立された教育機関であり、敗戦までに12校が機能していたものであるが、その中のひとつに墓地を経なければ入れない校舎があったという。
むろん、ただの墓地ではない。
そこに眠る人々は、共産主義者との闘いで命を落とした英霊のみと限られていたのだ。そのあたりの事情は生徒達にも徹底的に認識させて、自主的に清掃や花輪を手向ける空気を醸造せしめていたという。
敵愾心を涵養するに当って、この上なく効果的な仕掛けであると評していい。
やや
或いはもっと大規模かもしれない。ハワイ、真珠湾に今も眠る、戦艦アリゾナがそれである。
1941年12月7日、日本軍の奇襲によって1177名の兵士もろとも海に沈んだこの艦は、しかし今日に至るまで、引き揚げどころか遺骨・遺品の回収さえ行われていない。
国防省の命令系統内にJPAC(米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)なる組織まで設置して、二度に亘る世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、数々の対外戦争で異郷の地に斃れた同胞達を連れ帰ることに熱心だった合衆国が、独りアリゾナの戦死者達に対してのみ斯くも不干渉を貫いているのはどういう事情に依るのであろう。
ハワイも合衆国の一部だから、敢えて回収するまでもなく「故郷で眠りに就いている」と看做したのか?
陸とは異なり海を戦場とする海軍故に、海葬は寧ろ名誉であって十分弔いは済んでいるか?
そうした理由も確かにあろう。だが、より以上に濃厚なのは、米国民の日本に対する憎悪を掻き立て戦意高揚を促すという、ある種の宣伝目的である。
敢えて引き揚げを行わず、そのままの状態に置くことで、アリゾナは一個の
現在でも彼の地を訪れた大統領以下閣僚が、相も変わらず「リメンバー・パールハーバー」と叫び続けるのも当然だ。彼らもまた
彼らにあなた方を忘れはしないと、きっちり仇は討ったぞと報告せねば、後生の障り以上に恥ずかしくて面を上げることが出来ぬのだろう。
英霊の扱い方を、よく心得た
えげつないが、なんの
一度戦端を開いた以上は何があっても勝たねばならぬ。原則として、最高の敗北は最低の勝利に如かないのだから。
鼻先微差の勝利であろうと、兎にも角にも勝ちさえすれば、その「辛勝」をいくらでも「圧勝」に変えてしまえる。それこそが勝者たるの権能だ。
そのあたりの事情を骨の髄まで理解していたのがイギリス人で、例えば同国のクエーカー教徒などは、欧州大戦前夜、あれだけ熱烈な反戦運動を展開していたにも拘らず、いざ戦争の火蓋が切られるや、あっさり戦争協力に旗幟を翻してのけている。
毎度のことながら、彼らの掌返しの鮮やかさはもはや芸術の域にあろう。
「我々は誰にしても戦争に反対だ。然し、いざ戦争になってしまえば協力して勝利を願うのは、当然の国民の感情だろう」
結局のところ、菊池寛のこの言葉こそよく真理を穿っているのだ。
折角なのでムッソリーニ治下のイタリアについても触れておこう。
当時のローマの小学校では教室という教室に国王とムッソリーニの写真が飾られ、その横に古代ローマ帝国と現イタリアの地図とを並べ、更にその地図の上に、ムッソリーニ自身の筆で、
――太陽はローマ以上の大都市を照らしたことなし。
とか、
――人口の増加は国運の隆盛を意味する。
とかいった意味の文章が、墨痕淋漓と記されていた。
何をかいわんや。背後の意図が透けて見える、というよりいっそ明らかに隠す気すらない仕掛けだが、それでもナチスドイツに比べれば、幾分か
最後に補足しておくと、前述のJPACは近年DPAA(国防総省捕虜・行方不明者調査局)と名を改めて、現在でも同胞の帰還に尽力している。
最近では、昨年7月27日に北朝鮮から返還された、55柱の遺骨鑑定にあたったニュースで耳あたらしい。
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