穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

読書

豚的幸福と阿含経 ―釈迦も匙を投げた人々―

原始仏教の経典の一つ、『阿含経』に次のような話がある。 釈迦がコーサラ国を遊行して、祇園精舎へやって来た当時のことだ。とある一人のバラモン僧がこれを聞きつけ、前々から釈迦の存在を目障りに思っていたこともあり、どうれひとつ彼奴めの説を粉々に打…

我が神、生田春月

厭世家にも慰めはある。厭世それ自体が一つの快楽である場合も多い。静かな丘の上にひとり坐して、十分に人間を憎み得る時は、厭世家にとっていかに喜ばしい時であらう。人生の中から悲惨な事実をあとからあとからとかき集めて来て、かりにも人生を楽しいも…

青島にて、ビスマルク砲台指揮官の見たる日本軍

戦史に於いて青島(チンタオ)の戦いほど不遇をかこっている例も珍しい。第一次世界大戦当時、大日本帝国が連合国の一員たるの責務として山東半島上に演じたこの戦いは、もっと評価されていいものだ。 決して生易しい戦(いくさ)ではなかったのである。 多…

書見余録 ―病みて始めて健を懐う―

幸い、体調は持ち直した。私の健康は保たれている。 葛根湯が効いたのか、それとも最初から騒ぐほどのことでもなく、つまりは早とちりに過ぎなんだのか。いずれにせよ寝込まずに済んだのは良いことだ。 いやはやまったく、すんでのところで虎口を逃れた気分…

書見余録 ―悪徳の栄え―

前回の末尾に、 ――まこと地上は伝統的に、悪徳の栄える場所である。 と書いた。書いてしまった。 ならば当然、この三冊について語らぬわけにはいかないだろう。『悪徳の栄え』、『悪徳の栄え〈続〉』、『美徳の不幸』の三冊を。 この本を単なる悪趣味なだけ…

書見余録 ―時事新報に受け継がれたる福澤精神―

陸軍五十年史、海軍五十年史、航空五十年史、文芸五十年史、政界五十年史、…… かくの如く昭和十年代後半に数多刊行された○○五十年史であるが、私はこの『新聞五十年史』こそ、その中の白眉たる一冊であると信じている。 なにせ、著者が伊藤正徳だ。 左様、『…

書見余録 ―第一次世界大戦と鈴木三重吉―

前回に続き三重吉である。 彼の随筆から特に選んでもう一つ、ぜひとも紹介しておきたい章があるのだ。その名も、 欧州戦争観 愉快な戦争 題名からしてもう既に、これ以上ないほどふるっている。 内容の方でも三重吉の勢いは止まらない。 私にはただ一俗人と…

書見余録 ―魅力的な鈴木三重吉―

眼が大きい。それも光沢に富んだ眼だ。 鼻梁が一本すっきり通り、その整然さは定規で引いたさながらで、この顔を前にするとき、私は如何にも明治人を見る思いがする。 この顔の持ち主こそ、鈴木三重吉(すずきみえきち)に他ならない。 1882年誕生、1936年没…