陸軍五十年史、海軍五十年史、航空五十年史、文芸五十年史、政界五十年史、……
かくの如く昭和十年代後半に数多刊行された○○五十年史であるが、私はこの『新聞五十年史』こそ、その中の白眉たる一冊であると信じている。
なにせ、著者が伊藤正徳だ。
左様、『連合艦隊の最後』『軍閥興亡史』『帝国陸軍の最後』『連合艦隊の栄光』といった数々の名著を世に送り出し、軍事評論家としてその名を揺るがぬものとした、あの伊藤正徳その人である。
氏の特徴たる平易達意な文章は本著『新聞五十年史』でも遺憾なく発揮されており、手にした者は古書とは思えぬほどの抵抗のなさで最後まで読み進めることが出来るだろう。
さて、内容についてである。
本書は明治に端を発する日本新聞史の概説であり、福澤諭吉と彼の興した『時事新報』なる新聞紙についても、むろんのこと触れられている。
否、触れているどころではない。
伊藤正徳自身、時事新報に所属して、一時は社長まで勤め上げた経歴を持つゆえだろう。相当に力を入れて書いている。なにせ、明治15年3月1日の創刊号に掲載された『時事新報
――日本史のいろいろの意味においても必読の文字(『新聞五十年史』108頁)
として数ページに渡りそっくりそのまま転載しているほどだ。
この『発兌之趣旨』上に於いて福澤は、
我輩の眼中満天下に敵なし、又友なし、唯国権の利害を標準に定めて審判を下すのみ(同上、112頁)
と、生来の負けじ魂に裏打ちされた大気焔をぶち上げて、更に筆を進め、
権を好むは通常人類の天性なれば進で権力を得んとして政党の催しも至極尤もなる事なれども、今の
なるほどこの人が一万円札になるわけだとおもわず納得してしまう、力に満ちた名文を草してもいる。ついでながら発兌とは、書籍・新聞を発行すること。実にそのままの意味である。
それにしても「権を好むは通常人類の天性なれば」とは、如何にも福澤らしい現実主義的な物言いではないか。
そうだとも、この世の何処に権力を欲しない人間がいる。ニーチェが喝破した如く、生そのものが権力への意志なのだ。ありがたくも人間として生を享けておきながら、みずからの意志を発表し主張し実現し拡大せんと欲さずしてどうするのか。
よって、権力志向そのものは決して否定されるべきものではない。肝心なのはやり口だ。
福澤はその拙劣害悪なる例として、「論ずるに其事を問はずして其人を評するに忙はしく、却て国権の利害如何を問へば漠然として忘れたるが如き者」を引いている。
口を開けば個人攻撃、代案を訊かれれば不得要領な答弁で御茶を濁すか、そうでなければとんでもない夢想論しか喋れない一部野党の議員たちに、是非とも聞かせてやりたい下りであろう。
昨年度、前代未聞のGW18連休で話題となったこの人々は、つい先日にもまたもや国民に先駆けて、一足早い「春休み」を取る姿勢を見せた。今回はすんでのところで思いとどまったようであるが、いやはや流石は学生運動華やかなりし青春時代をお持ちの方々、ストやボイコットはお手の物というわけだ。しかしよもや、それを国会にまで持ち込むとは一周廻って恐れ入る。
敢えて断言しておこう。彼らこそ福沢諭吉が「最も感服せざる所にして、我輩の思想を異にする」手合いであるに相違ないと。
まあ、それはいい。このような趣旨のもと立ち上げられた時事新報は、福澤亡きあともその精神を脈々と受け継いでいった。以下はそれを証明する部分の抜粋。
この間にあって、伝統的に個人の名誉を尊重する社是を一貫したのは
ジャーナリズム精神の亀鑑とすべき姿勢であろう。
しかし皮肉にもこの高潔さこそ、時事新報をして凋落の一途を辿らしめた
新聞を一個の純然たる商業行為とみなした場合、どうも朝日のような姿勢こそ――たとえ誤報を犯しても、ごくごく小さな訂正記事をこっそり載せて、後は素知らぬ顔を決め込んでちっとも悪びれない姿勢こそ――正しいということになるらしい。
如何に抗弁しようとも、このことは既に事実として証明されてしまっている。こんにちに於ける朝日の繁栄と時事の衰亡を比較すれば一目瞭然ではないか。ぬけぬけとクオリティペーパーを名乗って憚らない前者に対し、後者など、その名を知る者すらもはや少ない。なんという明暗の別れであろう。
人は悪いことをしなけらばならない。悪いことをしてお金を人から捲き上げなくてはいけない。さうすると斯ういふ処(筆者註、精進湖畔)に、別荘も建てられれば、華族にもなれて人から尊まれる。どんな不行儀をしても人から
およそ九十年前に記されたこの文章は今日でも十二分に通用する、否、今日だからこそいよいよ広く周知されねばならないものだ。
まこと地上は伝統的に、悪徳の栄える場所である。
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