咢堂こと尾崎行雄が、軽井沢の別荘に起居していたころ。彼にはひとつの習慣があった。
早朝、日の出とほとんど時を同じゅうして戸外に出、浅間山の広闊なる裾野にて乗馬運動を楽しむのである。
ところがその日、いつもの日課をこなすべく玄関を出でた咢堂は、しかしその場で脚を止めざるを得なかった。
人力車である。
明治の初め、東京の市街を行き交う馬車の姿に刺激を受けた日本人が生み出した、人の力で人を輸送するべく設計されたこの乗り物が、坂の下から此方へ向かって登って来るのが見えたのだ。
座席には、見るからに清々しい風采の一青年が乗っている。
と、咢堂と青年の視線が交錯した。
そう認めるや、青年はただちに人力車から飛び降りて、懐から名刺を取り出し、
「陸栄廷の次男にて、陸栄勝と申すものですが」
そのように挨拶するではないか。
(なに、陸栄廷。――)
中華民国設立直後、最も強力な軍閥と目されていた広西軍の指導者だ。
(Wikipediaより、陸栄廷)
貧農の出で、若輩時には盗賊稼業で食いつなぎ、世が紊れ乱起こるや兵に姿を改めて砲煙の中から這い上がった、典型的な中国的英傑である。
袁世凱の力によって広西都督に任命されておきながら、水面下で密かに反袁世凱の準備に取り組み、1916年、袁が皇帝に即位し国号を「中華民国」に改めた際にはいち早く反旗を翻し、彼の皇帝即位取り消しに大きく寄与した男でもある。
ところで尾崎咢堂といえば、
「この地上で誰が気に喰わないといっても、桂太郎と袁世凱に如くはない」
と公言してはばからず、
廣き世に我がすかぬ人二人あり大和の桂、唐土の袁
腹立ちまぎれに、こんな詩を詠むことも屡々という人物だった。
その大嫌いな袁世凱の失脚に一役買った陸栄廷の名は、当然かねてより聞き及んでいる。
少なからぬ好意を抱いてもいた。
(だが、彼の息子にしては)
目の前にたたずむこの青年は、相貌といい吐き出す日本語の巧みさといい、とても支那人とは思えない。
さりとて万が一の可能性もある。ひとまず青年には別荘の一室を与え、暫く待っているように言い、咢堂は馬を乗り回しに行った。
日課の乗馬を早めに切り上げ、再び青年と相対した咢堂は、物は試しと支那の近況をあれこれ訊ねてみることにした。
すると意外にも、青年の返答には滞りがなく、携えていた二個の鞄から書類まで取り出し微に入り細を穿った説明をする。
この鞄からは他にも色々な物品が飛び出した。
清浦奎吾、加藤友三郎、床次竹次郎をはじめとした知名の諸氏が墨痕淋漓と記してくれた揮毫の数々。
鉄道省発行の優待券。
年代物の筆硯を取り出した際には、べつに咢堂は何も言っていないにも拘らず、勝手に「青天一鶴」と一筆ふるい、出来上がった書をさも親切気に差し出す始末。
(悪筆だな)
決してうまい字ではない。
ないが、書法は確かに支那人のそれに相違なかった。
これら「証拠品」の数々を眼前に並べられるにつれて、次第に咢堂の心の中に、
(ひょっとして、本当に本物の陸栄廷の次男かな?)
と信じたくなる気分がむらむらと湧いてくるのを、彼自身どうしようもない。
その日は別条もなく平和に別れた。
騒ぎが起こったのは翌日である。舞い込んだ電報を一瞥し、咢堂は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「宇都宮警察ノ誤解ヲ受ケ、今居ル、警察ノ諒解スルヤウ、貴下ヨリ援助アリタシ、スグヘン陸栄勝」(昭和四年、『咢堂漫談』5頁)
「警察より根も葉もない誤解を受けて、ただいま宇都宮署に拘留されております。彼らの誤解が解けるよう、貴方からなんとかお力添えを願えませんか。至急お返事下さい、陸栄勝より」。――意訳するならこんなところか。
電報を受け取った咢堂は、ひどく悩んだ。どう返事を書くべきか。
(そも、返電してやるべきか否か)
長々と唸っていたものの、やがて本人曰く「畢生の智慧をしぼった(同上)」すえに、
「誤解スルノモ悪イガ、誤解セラレルノモ悪イ、将来ハ誤解セラレナイヤウニ言行ヲ謹メ」(同上、6頁)
と返電した。
突き放したといっていい。
もし青年が本当に陸栄廷の次男なら、将来ゆゆしき問題を惹き起こす元種にもなるだろう。
その危険性を承知の上でなおこんな文面を書くあたり、やはり咢堂の胆力たるや並大抵のものでない。
しかもこのときの判断は、結果的に「吉」と出た。
それから暫くした後日、東京新聞紙上に『怪支那人』と題した記事が出たのである。
読み進めると、明らかに上記の青年のことだった。
結局彼は陸栄廷の次男坊でもなんでもなく、それどころか詐欺取財の廉で四年間入獄を命ぜられ、つい先日刑期を終えて出獄てきたばかりの前科者であったのだ。
(そんな奴に、鉄道省はなんだって優待券など与えたのやら)
みずからの国の公的機関の杜撰さに、咢堂は苦いものを感じずにはいられなかったそうである。
だが、後世の眼を以って眺めるに、この犯行は明らかに単独犯のものでない。
間違いなく、後ろになにがしかの組織がある。そうでもなければこれほど早期に、これだけの道具を調達するのは不可能だろう。
流石、中国は伝統的な偽装大国。食品どころか、人間のニセモノまで平気の平左でこさえてのける。
大陸人の周到さと厚顔ぶりに、島国の民たる我々は、いついつだとて舌を巻かずにはいられないのだ。
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