穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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予期せぬ出逢い ―愛国者たち―

 

 先日、こんな記事を書いた矢先、とんでもないものが古書の中から滑り出て来た。
 何はともあれ、まず見て欲しい。

 

 

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 粗末なパラフィン紙に、おそらく万年筆か何かで書き付けてある。内容は、

 


(数文字解読不能、おそらく書き手の姓名か)義に捨身みをすて
天皇陛下の御為めには
何時ても死にます

 


 これを見付けたとき私が味わった衝撃は、どうにも形容の仕様がない。ただただ衝撃的だったとしか。


 先人の、祖国に対する想いの深さに、私はしばしば圧倒される。


 例えば以下は、山梨県の北西部、長野との県境ほど近く、八ヶ岳南麓にひっそりたたずむ須玉歴史資料館・津金学校に展示されている資料の一つ。

 

 

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終戦の日の学校日誌


一、四国宣言受諾の

  聖日にして一億

  血涙を呑む

 


 四国宣言とは、ポツダム宣言のことであろう。
 たったこれだけの短い文章でありながら、実際この目で眺めてみると、籠められた念の巨大さに息をのんで立ち尽くさざるを得なかった。

 

 

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(津金学校。廃校の木造校舎を利用したもの)

 


 以前、杉山茂丸翁の記事を書くにあたって散々参照させてもらった『熱血秘史 戦記名著集 第九巻』にも同系統の書き込みがある。

 

 

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 昭和二十年十月十日、此の書を再読するに及び、今、敗戦国日本帝国の国民として、敗戦に依る、冷厳なる現実に直面して実に感慨転々無量である。
 尚最近帝国憲法改正の議あり。
 我が帝国憲法起草の重任に当りたる故伊藤公及金子堅太郎子の霊も、又感一汐深いものがあらう。

菊三郎記  


 この次のページから、金子堅太郎子爵の日露戦争前後に於ける回顧録『米国遊説二十ヶ月』が始まっている。

 

 

  

 

 


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尾崎行雄、敵愾の詩

 

 先日の記事補遺として、書く。
 尾崎行雄咢堂は、やはり異常人であるようだ。

 

 

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 通常、日本人というものは、死者の悪口をあまり言わない。


 死なばみな仏という意識が自然にあって、生前のあれこれは水に流そうという気分がはたらく。


 ところが咢堂に限っては、いったん憎しみを抱いた以上、相手が灰になっても憎み抜く、異様な執念深さがあった。不倶戴天と定めた二人の男――桂太郎袁世凱――に対しては、死後何年経とうとも、

 

 

今ごろは袁も桂も地獄にて
鬼を相手にニコポンやする

 


 こういう詩をわざわざ作って攻撃の手を緩めていない。
 いとも無造作に両人を地獄に堕としているあたり、彼の感情の鋭さをよく表しているだろう。


 まったくカミツキガメよりしつこい男だ。


 更に咢堂は筆を進めて、

 


 両人は得意のニコポン術を以て、地獄の鬼共を手なづけ、予の来獄を待って、復讐する積りかも知れないが、予の如く碌な悪事も為し得ない意気地なしは、たぶん地獄には行かずして、天道に行くだらう。(『咢堂漫談』117頁)

 


 ざまあみろ、と嘲笑う顔が目に浮かぶようだ。
 そしてトドメの三十一文字みそひともじである。

 

 

あな笑止鬼語らひて待つとても
我には逢はじ道のちがへば

 


 尾崎行雄は、1954年10月6日まで生きた。
 享年95歳。その前年の94歳まで、現役の衆議院議員であり続けたという。

 

 

 

 

 

 
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尾崎行雄と偽装大国

 

 咢堂こと尾崎行雄が、軽井沢の別荘に起居していたころ。彼にはひとつの習慣があった。
 早朝、日の出とほとんど時を同じゅうして戸外に出、浅間山の広闊なる裾野にて乗馬運動を楽しむのである。


 ところがその日、いつもの日課をこなすべく玄関を出でた咢堂は、しかしその場で脚を止めざるを得なかった。


 人力車である。


 明治の初め、東京の市街を行き交う馬車の姿に刺激を受けた日本人が生み出した、人の力で人を輸送するべく設計されたこの乗り物が、坂の下から此方へ向かって登って来るのが見えたのだ。


 座席には、見るからに清々しい風采の一青年が乗っている。


 と、咢堂と青年の視線が交錯した。


 そう認めるや、青年はただちに人力車から飛び降りて、懐から名刺を取り出し、


「陸栄廷の次男にて、陸栄勝と申すものですが」


 そのように挨拶するではないか。


(なに、陸栄廷。――)


 中華民国設立直後、最も強力な軍閥と目されていた広西軍の指導者だ。

 

 

Lu Rongting

 (Wikipediaより、陸栄廷)

 


 貧農の出で、若輩時には盗賊稼業で食いつなぎ、世がみだれ乱起こるや兵に姿を改めて砲煙の中から這い上がった、典型的な中国的英傑である。


 袁世凱の力によって広西都督に任命されておきながら、水面下で密かに反袁世凱の準備に取り組み、1916年、袁が皇帝に即位し国号を「中華民国」に改めた際にはいち早く反旗を翻し、彼の皇帝即位取り消しに大きく寄与した男でもある。


 ところで尾崎咢堂といえば、


「この地上で誰が気に喰わないといっても、桂太郎袁世凱くはない」


 と公言してはばからず、

 

 

廣き世に我がすかぬ人二人あり
大和の桂、唐土もろこしの袁

 


 腹立ちまぎれに、こんな詩を詠むことも屡々という人物だった。
 その大嫌いな袁世凱の失脚に一役買った陸栄廷の名は、当然かねてより聞き及んでいる。
 少なからぬ好意を抱いてもいた。


(だが、彼の息子にしては)


 目の前にたたずむこの青年は、相貌といい吐き出す日本語の巧みさといい、とても支那人とは思えない。
 さりとて万が一の可能性もある。ひとまず青年には別荘の一室を与え、暫く待っているように言い、咢堂は馬を乗り回しに行った。

 

 

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 日課の乗馬を早めに切り上げ、再び青年と相対した咢堂は、物は試しと支那の近況をあれこれ訊ねてみることにした。
 すると意外にも、青年の返答には滞りがなく、携えていた二個の鞄から書類まで取り出し微に入り細を穿った説明をする。


 この鞄からは他にも色々な物品が飛び出した。


 清浦奎吾、加藤友三郎、床次竹次郎をはじめとした知名の諸氏が墨痕淋漓と記してくれた揮毫の数々。
 鉄道省発行の優待券。
 年代物の筆硯を取り出した際には、べつに咢堂は何も言っていないにも拘らず、勝手に「青天一鶴」と一筆ふるい、出来上がった書をさも親切気に差し出す始末。


(悪筆だな)


 決してうまい字ではない。
 ないが、書法は確かに支那人のそれに相違なかった。
 これら「証拠品」の数々を眼前に並べられるにつれて、次第に咢堂の心の中に、


(ひょっとして、本当に本物の陸栄廷の次男かな?)


 と信じたくなる気分がむらむらと湧いてくるのを、彼自身どうしようもない。


 その日は別条もなく平和に別れた。


 騒ぎが起こったのは翌日である。舞い込んだ電報を一瞥し、咢堂は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 


「宇都宮警察ノ誤解ヲ受ケ、今居ル、警察ノ諒解スルヤウ、貴下ヨリ援助アリタシ、スグヘン陸栄勝」(昭和四年、『咢堂漫談』5頁)

 

 

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「警察より根も葉もない誤解を受けて、ただいま宇都宮署に拘留されております。彼らの誤解が解けるよう、貴方からなんとかお力添えを願えませんか。至急お返事下さい、陸栄勝より」。――意訳するならこんなところか。


 電報を受け取った咢堂は、ひどく悩んだ。どう返事を書くべきか。


(そも、返電してやるべきか否か)


 長々と唸っていたものの、やがて本人曰く「畢生の智慧をしぼった(同上)すえに、

 


「誤解スルノモ悪イガ、誤解セラレルノモ悪イ、将来ハ誤解セラレナイヤウニ言行ヲ謹メ」(同上、6頁)

 


 と返電した。
 突き放したといっていい。
 もし青年が本当に陸栄廷の次男なら、将来ゆゆしき問題を惹き起こす元種にもなるだろう。
 その危険性を承知の上でなおこんな文面を書くあたり、やはり咢堂の胆力たるや並大抵のものでない。


 しかもこのときの判断は、結果的に「吉」と出た。


 それから暫くした後日、東京新聞紙上に『怪支那人と題した記事が出たのである。

 読み進めると、明らかに上記の青年のことだった。


 結局彼は陸栄廷の次男坊でもなんでもなく、それどころか詐欺取財の廉で四年間入獄を命ぜられ、つい先日刑期を終えて出獄てきたばかりの前科者であったのだ。


(そんな奴に、鉄道省はなんだって優待券など与えたのやら)


 みずからの国の公的機関の杜撰さに、咢堂は苦いものを感じずにはいられなかったそうである。

 


 だが、後世の眼を以って眺めるに、この犯行は明らかに単独犯のものでない。

 


 間違いなく、後ろになにがしかの組織がある。そうでもなければこれほど早期に、これだけの道具を調達するのは不可能だろう。


 流石、中国は伝統的な偽装大国。食品どころか、人間のニセモノまで平気の平左でこさえてのける。


 大陸人の周到さと厚顔ぶりに、島国の民たる我々は、いついつだとて舌を巻かずにはいられないのだ。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―キングギドラと赤備え―

 

 夢を見た。
 死の宣告の夢である。


 月報、広告、押し花、新聞紙の切り抜き等々、購入した古書の中に「何か」が挟まっていることは、私自身多く経験したことである。
 しかしながら硬貨が滑り出て来たことは、今朝の夢以外では未だない。それは床に落下して、硬質な音を響かせた。


 拾い上げて調べてみると、どこの国で流通していたものであろう、くすんだ琥珀色をした正方形の金属片で、一見すると焼き過ぎたクラッカーのようにも見える。


 一方の面にのみ肖像画が刻まれていて、おそらくこちらが「表」だろうとあたりをつけた。ただ、それが何者であるかについては、顔の部分だけ魚眼レンズを通して見たように奇妙にねじれて歪んでいたので到底判別はつけられなかったが。首から下は折り目正しいスーツ姿なだけ、なにやら気味が悪かった。


 とまれ、貴重な古銭である。


 千円で買った古書の中にこんなものが入っているとは、思わぬ儲けをしたやもしれぬ。日頃の善行の積み重ねか、とほくほく顔で街の通りを歩いていると、


「このままでは、あなたは必ず死ぬ運命にある」


 横合いから出し抜けに、そんな言葉をかけられた。
 しわがれてはいるものの、確かに女の声である。
 驚いてそちらを振り向くと、時代錯誤なローブ姿の老婆がひとり。老婆は自分を霊媒師」と名乗り、私が強力な死の呪いに囚われていることを告げて来た。

 

 

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(そうやって金をせしめる算段だろう)


 その手に乗るか、いんちき山師め。
 そうやってせせら笑えていたのも最初だけ。懐に隠している例の硬貨の特徴を老婆がズバズバ言い当てて、「それが呪いの根源だ」と告げられるに至っては、


(おいおい、こいつは本物だ)


 と、すっかり帽子を脱ぐ気になっていた。
 どうすれば救かる、方法はあるのかと私が訊くと、老婆は重々しく頷いた。特定の場所に、特定の時刻、特定の深さの穴を掘って問題の硬貨を埋めればよい。


「ただしその様子を、一切他人ひとに見られてはなりませぬ」


 見られればどうなるかは、敢えて言うも愚かだろう。
 まったく、趣味がとんだ災難を呼び寄せてしまった。忸怩たる思いに苛まれつつ、夏の蒸れた闇を掻き分け、私は指定された場所――故郷の山の奥深く――へと赴いた。


 で、用意してきたスコップをふるい、地面を掘り進んで行ったわけだが、私が筋肉労働に勤しんでいるすぐそばで、何故か巨大なモニターが点灯しており、赤備えの甲冑武者キングギドラが取っ組み合う映像がひっきりなしに流れているのは、全く以って閉口した。

 

 

赤糸威赤桶側二枚胴具足(あかいとおどし あかおけがわ にまいどうぐそく)

 (Wikipediaより、赤糸威赤桶側二枚胴具足)

 


(このあたりは、不法投棄のメッカなのか?)


 そういえばあちらに横たわっている影は、業務用冷蔵庫のようにも見える。
 そんなことを考えている間にモニターの中の戦局はギドラの側に大きく傾き、もはや甲冑武者のなぶり殺しといった具合になってきた。


 そのあたりで目が覚めた。


ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のレンタル開始はいつであろう。今から楽しみで仕方ない。

 

 

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(オリジナル・サウンドトラック)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(オリジナル・サウンドトラック)

 

 

 

 

 
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『柳樽』川柳私的撰集 ―其之弐―

 

 

里のない 女所にょうぼうは井戸で 怖がらせ

 


 井戸をどうやって脅しの道具に使うのかというと、こういう次第だ。


 まず、袂に重そうな石をどっさり詰め込む。
 身がずっしりと重くなったところで、次に井戸の縁に腰を下ろして体を揺らし、今にも落下しかねない危険な雰囲気を醸し出す。
 さあ、ここでいよいよ決め台詞だ。「いいえ、死にますよ、死にますよ。どうせ帰る古里もない私なんです。いっそひと思いに。――」


 江戸時代、井戸は多く共用であり、つまりは公衆の面前である。
 衆人環視の真っ只中で斯くの如き愁嘆場、羞恥心持つ亭主であればとても堪えられるものではない。結局、負けて勝つのが男だと、平謝りに謝って場を収めるのに腐心する。

 

 

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 もっともこの手段は妻の評判も少なからぬ傷を負う。畢竟「里のない」、立場の低い女性にとっての窮余の策に他ならず、家付き女房のやることではない。


 諺にも「小糠三合あれば婿には行くな」とある通り、婿養子を迎えた側の権勢たるやかなりのもので、

 

 

この家で 生れた内儀 まけてゐず

 


 立派に亭主を尻に敷きおおせていたようだ。

 

 

外聞の よい奉公と 婿思ひ

 


 も同工異曲といっていい。

 

 

女房持 山を見い見い 鹿を追ひ

 


 この川柳の意味するところは、「鹿を追う猟師は山を見ず」の諺を知らねば理解できない。


 男として生まれた以上は様々な女を味わってみたい、しかし女房の雷も恐ろしい。


 結局色欲に屈するわけだが、しかし恐怖心を圧殺しきれたわけでなく、とどのつまりはおっかなびっくりやる破目になる。
 河豚は食いたし命は惜しし。獲物に焦がれるあまり我が家も何も忘れ果て、ひたすら深山の奥へ奥へと入り込んでゆく猟師の情熱にはとてものこと及ばない。そういう二股膏薬的な、腰の弱い男の姿を皮肉った作であるだろう。

 

 

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まおとこは 大和めぐりも すすめに来

 


「せっかくお伊勢参りに行くんです、この際ちょっと脚を延ばして、大和の古刹でも見て廻ってたらいかがでしょうか?」


 人の好さそうな笑顔を浮かべ、さりげなくこう提案してくる――その本意は留守にされる人妻との火遊びの時間を一日でも多く確保したいという、非常に自分本位な魂胆に他ならなかった。


 長期に亘って家を空けた場合、女房が何をするかというのはいつの時代も男にとって巨大な不安の種であり、それがために西洋に於いては貞操帯」などという奇天烈な発明品を生み出すに至ったほどである。

 

 

御亭主の すき見生死の 境なり

 


 もっともこの歌が詠まれた時分、浮気は冗談抜きで命懸けの沙汰であり、もし発覚した場合には、亭主は白刃をすっぱ抜き、姦婦と間男を諸共に斬殺しても「お構い無し」な仕組みであった。
 間男の緊張が、この五・七・五に躍如としている。

 

 

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旅の留守 ある夜内儀の 威丈高

 


 が、少々空閨が続いたからといって、女という女がすべて、間男を寝所に引っ張り込まずにはいられぬような、そんな貞節の「て」の字も知らない救い難き淫蕩揃いだったわけでは、むろんない。


 中にはこの十七文字に歌われているように、夜陰に乗じて密かに忍び寄ってきた鼻下長野郎をけんもほろろに叩き出し、


「馬鹿にするんじゃないよ、亭主の留守だからといって、そんなだらしない女とは違うんだからね」


 そんな具合に啖呵を切って、妻としての面目をほどこす烈婦とても確かにいた。


 こういう女性を妻にできた男こそ、果報者であったろう。まあもっとも、外からの侵略は跳ね返せても、

 

 

あげ足を 取らう取らうと 姑ばば

 


 内側の火種を燃え上がらせずに済ませられるかは、おのずから別問題に属したわけだが。
 嫁姑戦争の根は深い。

 

 

犬の伊勢参り (平凡社新書)

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『柳樽』川柳私的撰集 ―其之壱―

 

 日本人はユーモアセンスの欠落した民族である。そんな指摘を事あるごとに耳にするが、私はこれに賛同できない。


 何故なら、川柳というものがある。


 痛烈骨を刺す諷刺をたった十七文字に凝縮させて、しかも軽妙洒脱な爽快さを失わない川柳という文芸は、まったく古今東西他に類を見ぬ特異な芸術であるだろう。まさに頂門の一針だ。


 今回は江戸時代に出版されていた川柳句集、『柳樽』の中から、個人的に秀逸と感じたものをいくつか選んで紹介したい。

 

 

隣から 戸をたたかれる 新所帯

 


 江戸時代の壁ドンである。
 今ではこの言葉もすっかり意味が変わったが、もともとはアパートなどの集合住宅に於いて、壁の薄さも憚らず、桃色遊戯に耽ってやまない男女に対し、憤懣やるかたない独り身者が抗議と警告の意を籠めて壁をぶん殴る行為であった。
 ここに描かれている情景は、そうした本来の「壁ドン」の意に即したものだ。

 

 

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あら所帯 何をやっても 嬉しがり

 

よりたまへ あがりなんしと 新所帯

 


 一々解説する気にもなれない。
 バカップルというやつは、いつの時代も存在するものらしい。

 

 

いむすめ 母もほれ手の 数に入り

 


 親バカもまた同様だ。
 親は決まって、我が子の値打ちを実際以上に買い被る。

 

 

くどかれて 娘は猫に ものをいひ

わが好かぬ 男のふみは 母に見せ

 


 真渓涙骨によれば、「本人が選んだ恋人は親から見れば『虫』であり、親の選んだ配偶者の多くは『人形』とされる」のだそうだ。
 文を見せられた母は、大慌てで「害虫駆除」に勤しんでくれることだろう。
 まこと、妙を得た対処といっていい。

 

 

りちぎもの まじりまじりと 子が出来る

 


 当時のいろはカルタに「律義者の子沢山」なる札がある。
 浮気もしないが甲斐性もない、毎日同じように朝から晩まで働いて、次から次へと女房に子供を産ませる男の姿が描かれたものだ。
 ある意味吉良吉影の理想に近い、そんな生き方をする男性は、しかし江戸っ子の気質からするとあまり美しいものでなく、

 

 

女房を なぜこはがると 土手で云ひ

 


 このように悪友から火遊びを勧められることも屡々だったようである。なんだおめえ、びくびくするねえ、見苦しい。女郎買いこそ男の甲斐性じゃあねえか、ナーニ文句を言うかかあなんぞは追い出しちまえ。……

 

 

女房を こはがる奴は 金が出来

 


 これもまた、真面目な男を皮肉ったもの。
 この筆法でいくならば、二代将軍・徳川秀忠公などは、よほどの金貨を蔵に積み上げたに違いない。

 

 

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Wikipediaより、徳川秀忠) 

 


 この、人がいいだけが取り柄の家康公の三男が、その正室たるお江夫人を怖れたこと、馬が鞭を怖れるよりなお甚だしかったのは周知の通りなのだから。

 

 

 

 

 

 
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不義密通の報い也 ―火刑、八つ裂き、生き晒し―

 

 時は中世ヨーロッパ。愛妻家で知られたとある貴族は、しかし妻の浮気を知るに及んでそれまでの性情を一変させた。
 彼は妻を捕らえると、その歯を一本残らず引き抜いて、治療もせずに壁の中のわずかな隙間に監禁し、そのまま死ぬまで放置したのだ。


 身じろぎするだに一苦労な狭苦しい空間で、闇と激痛に蝕まれながら衰弱していった妻の心境たるや、想像するに余りある。


 壁の中からくぐもった悲鳴や泣き声がどんなに聞こえて来ようとも、貴族の瞳は乾いたままで、決して解放しなかった。


 鬼であろう。
 愛を裏切られた場合、人はしばしばそういうものに変化へんげする。
 だから不義密通の刑罰は、秋霜烈日をきわめる場合が非常に多い。

 

 

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 古代デンマークは殺人に対しては基本罰金刑で済ませたが、姦通には死刑を課した。


 古代サクソン人はこれに輪をかけ、まず間男を生きながら焼き殺し、その火が止むと今度は姦婦を焼け跡の上まで引き摺り出して、肉の焦げた臭いがいちばん濃厚に漂っているその場所で、彼女を絞め殺したそうである。
 ただ殺すだけでは飽き足らない、相応しい苦しみを受けて死ねと、憎悪の根深さが否が応にも伝わって来よう。


 エルサルバドルの先住民、ピピル族の姦通事件の裁き方は一風変わったものであり、姦婦を罰さず、間男に対してのみ刑を下す。
 死刑か、姦婦の夫の奴隷になるか、二つに一つだ。


 ところが同じエルサルバドルの先住民でありながら、ピピル族とは反対に、間男を罰さず、姦婦のみに刑を下す部族があるから面白い。


 その部族では裏切りを受けた夫みずからが刃物を手に取り、不貞な妻の鼻や耳を削ぎ落とすのだ。
 虎眼流で言うところの「伊達にして返すべし」藤木源之助以下虎子たちは道場の剣名を高めるためにそう・・したが、かつて中米に存在したこの部族では専ら再犯防止の処置だったらしい。

 

 

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 古代メキシコ人は姦通に八つ裂きで報いたし、インドではバラモンの女と通じたクシャトリヤには罰金と、それからロバの小便を頭に注ぎかける決まりであった。


 インカ帝国も負けてはいない。
 伝承によれば往古南米に栄えたこの国で、あるとき王妃の不義密通が露見した際の騒動ときたら物凄かった。間男が火炙りにされたのはもちろんのこと、彼の両親、親族さえもが殺されて、王の怒りはそれでも熄まず、最終的にはその人々の住居までもが「汚らわしい」との理由から打ち毀された。


 マヌ法典、ユダヤ経典中に於ける規定、我が国の江戸時代に見られる判例等々、まだまだ枚挙にいとまがないが、なにやら食欲の減退を感じてきたので、今日のところはここで一旦切り上げる。


 まあ要するに、人の女には手を出さないのが賢明だ。

 

 

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