北越屋が営業停止処分を食った。
理由はいわゆる、未成年との淫行である。
店の在所は浅草北部、新吉原の京町一丁目のあたり。なにを取り扱う店か、もうこれだけで凡そ察しがつくだろう。
想像通りだ。男どもが持て余す、日々の精気の発散場。血の滾りを抑えかねたる野郎どもを客として、紅燈緑酒の綺羅を張り桃色遊戯の
――その北越屋に、柴田赤太郎なる男子が客として
(Wikipediaより、新吉原仲の街)
赤太郎はひとばん遊び、翌十六日に帰っていった。
現象としてはそれだけである。相手役の
ところが、である。
赤太郎には地雷があった。年齢という、見えてるようで実は見えない地雷火が。
柴田赤太郎くんの
旧幕時代に於いてすら元服前の前髪として扱われる幼さである。
それもほんの二ヵ月前に誕生日を迎えたばかりのうら若さ。
「なんということだ」
彼と接した北越屋の店員で、やがて事情を知らされて、
(viprpg『やみっちの服って暑そう』より)
生れつき大人びた子であったのか――無遠慮な言い方をするならば、ひどい老け顔だったのか。
「不良少年」と呼ばれることに値したのは疑いがない。
事実、赤太郎くんはさして時を措きもせず、別な問題を惹起して。警察のお世話になる破目になり、そこでの調べで
たちまち遊里に無粋な
「知らなかった、では済まされぬ。分かっていような」
罰金十円、一定期間の営業停止。
「貸座敷規則違反」の名目により北越屋に下された、それが処分の内容だった。
(『ドラゴンクエストⅪ』より)
「お客様は神様です」――この定型句が当代既に盛んであったか不明だが。
もしも盛んであったなら、北越屋の一同は、
「神は神でも、とんだ疫病神じゃあないか、クソガキめ」
と、激しく毒づいたことだろう。
以上、川端康成の浅草観(昭和五年)――「警視庁の管下だけで、今四五万人の不良少年少女がゐるさうだが、彼等の大半は浅草から巣立つか、浅草へ流れ込んで来るのである。そのほかにも、乞食、浮浪人、香具師、掏摸、無頼漢、失業者、誘拐者、犯罪者。――浅草は善男善女の参拝を兼ねた見物地、民衆の娯楽場、決してそれだけではない。底知れない深い底がある」――に目を通していて、ふと思い出した事件であった。
若さというのは、ときに手のつけようがない。
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