穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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不良少年とばっちり


 北越が営業停止処分を食った。


 理由はいわゆる、未成年との淫行である。


 店の在所は浅草北部、新吉原の京町一丁目のあたり。なにを取り扱う店か、もうこれだけで凡そ察しがつくだろう。


 想像通りだ。男どもが持て余す、日々の精気の発散場。血の滾りを抑えかねたる野郎どもを客として、紅燈緑酒の綺羅を張り桃色遊戯の悦楽たのしみを提供するを事とする、典型的な遊廓である。


 ――その北越屋に、柴田赤太郎なる男子が客として登楼あがり込んだのは、明治十七年七月十五日であった。

 

 

Evening View of the Main Street of the New Yoshiwara

Wikipediaより、新吉原仲の街)

 


 赤太郎はひとばん遊び、翌十六日に帰っていった。


 現象としてはそれだけである。相手役の遊女おんなにとっても特に印象に残らない、ほどほどに緊張しながらもほどほどに巫山戯散らしていった、よくいる客の一人であった。


 ところが、である。


 赤太郎には地雷があった。年齢という、見えてるようで実は見えない地雷火が。


 柴田赤太郎くんの年齢とし、なんとなんとの十二歳。


 旧幕時代に於いてすら元服前の前髪として扱われる幼さである。


 それもほんの二ヵ月前に誕生日を迎えたばかりのうら若さ。


「なんということだ」


 彼と接した北越屋の店員で、やがて事情を知らされて、あんまりにも・・・・・・な意外さに魂消たまげぬ者はいなかった。

 

 

(viprpg『やみっちの服って暑そう』より)

 


 生れつき大人びた子であったのか――無遠慮な言い方をするならば、ひどい老け顔だったのか。


「不良少年」と呼ばれることに値したのは疑いがない。


 事実、赤太郎くんはさして時を措きもせず、別な問題を惹起して。警察のお世話になる破目になり、そこでの調べでくだんの前科、新吉原での行状も、芋蔓式に暴き出されたわけだった。


 たちまち遊里に無粋な官憲おかみの手が飛んだ。


「知らなかった、では済まされぬ。分かっていような」


 罰金十円、一定期間の営業停止。


「貸座敷規則違反」の名目により北越屋に下された、それが処分の内容だった。

 

 

(『ドラゴンクエストⅪ』より)

 


「お客様は神様です」――この定型句が当代既に盛んであったか不明だが。


 もしも盛んであったなら、北越屋の一同は、


「神は神でも、とんだ疫病神じゃあないか、クソガキめ」


 と、激しく毒づいたことだろう。


 以上、川端康成の浅草観(昭和五年)――警視庁の管下だけで、今四五万人の不良少年少女がゐるさうだが、彼等の大半は浅草から巣立つか、浅草へ流れ込んで来るのである。そのほかにも、乞食、浮浪人、香具師、掏摸、無頼漢、失業者、誘拐者、犯罪者。――浅草は善男善女の参拝を兼ねた見物地、民衆の娯楽場、決してそれだけではない。底知れない深い底がある――に目を通していて、ふと思い出した事件であった。


 若さというのは、ときに手のつけようがない。

 

 

 

 

 


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