穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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忘れ去られた農村歌

 
 
田舎の夕暮
 

見渡す限り遥々と、
田のの草も朽ち果てゝ、
独り残りし尾花さへ、
今は影だになかりけり

残り惜しげにたゆたひし、
夕日の影も今は早、
明日のあしたを契りつゝ、
彼方の山に隠れけり

今日の餌にや飽きにけん、
三ツ四ツ二ツ後や先、
産土神うぶすながみもりさして、
かへる鴉の聲さむし
 
 

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入相告ぐる山寺の、
鐘の響きに送られて、
いとむつまじく語りつゝ、
打連れ帰る田子二人

やよ父上よ此秋は、
いそしみたりしかひありて、
いと麗しく実りしが、
またこん年はいかならん

遠の高根の雪を見よ、
雪の多きは豊年の、
しるしといへば来ん年も、
またも豊かに実るらん
 
 

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田畠の業も今日までに、
残る方なく終いつれば、
今年も早く餅つきて、
楽しき春を迎へなん

をなりさなりと頷きて、
が怠らでいそしめば、
それが正月ちつきの花にとて、
母もはたをぞ織れるなる

いひつゝ父は打ち笑みて、
吾が子の顔を守りたり、
わらわも共に打ち笑みぬ、
いかに楽しく思ふらん

柳桜をこきまぜし、
都の春は知らねども、
師走の空をかこちつゝ、
眉を顰むることもなし

己がみにし糟湯酒、
己が織りにし木綿の衣、
うき世離れていかばかり、
楽しく年をむかふらん
 
 

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いともあやしき草の屋の、
前にわらはの立ちけるが、
二人が顔を見るよりも、
やよ早かりき父上よ

嬉しさ顔に溢れつゝ、
四五町ばかり走り行き、
父が牽きたる黒駒の、
手綱をとりてかへりけり

親子三人が行きにしより、
小田の畦道人もなく、
夕告げ鳥の聲絶へて、
四方は狭霧にかくれけり

独り淋しき弓張りの、
月の光もまだうすく、
野辺の小川の清水のみ、
いとねぶたげに咽ぶなり
 
 

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 六十連続する七五調――。


 大正四年刊行の『軍隊農事講習講演集』を通読中、発見したものである。


「下お莢」というのがこの詩の詠み手の號らしい。感じからして、女性だろうか。全体を包む雰囲気も、どこか丸みを帯びて柔かだ。


 が、現在この名前を探ってみても一向にそれらしいデータが出てこない。


 無名のまま、時の地層に埋もれてしまった人なのだろうか。


 郷愁胸に迫りくる、秀逸な句であるだけに残念だ。

 

 

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