「なあ、おい、聞いたか、あの噂」
「どの噂だよ、はっきり言えや、てやんでえ」
「どうも世界は滅ぶらしいぜ」
こんな会話を、人類はもう、いったい幾度繰り返し交わし続けて来たのだろうか。
千か、万か、それとも億か。たぶん、おそらく、発端は、西暦開始のずっと前、上古にまで遡り得るから、冗談抜きでそういう桁に及びそうな雰囲気である。
鉄板ネタというならば、これほど固いモノはない。
人間性の深部には、大破壊を求める心が絶えず疼き続けているのだ。
「滅ぶっつっても、どんな風にだ、馬鹿野郎」
これは時代と場所とによって多々変わる。
国民性を反映して、とも言っていい。
明治五年の日本に於いては、地球が割れると恐れられていたそうだ。
こう、焼き菓子みたく、パッカンと。
スーパープルームか何かだろうか? とまれそれにて拠って立つ場を文字通り喪失した人類は、アワレ一人の例外もなく奈落めがけて真っ逆さまと、大体そんな予測であった。
よほど巷間に満ちたのだろう、風説は次第に社会の上へ、学者、政治家、経世家の脳中にまで
とは言って、上野戦争の砲声にもたじろがず、講義を続けた福澤だ。
「明治五年七月とやらに地球が割れるとの噂あり。さてさて恐ろしきことなり。丼鉢のわれたのはおさんどんの不調法といはんか、世界の破裂は其罪を帰すべき相手もあらず、先づ辛抱して時節到来とあきらめるより外に仕方もあるまじ」
あやふやもまたいいとこな、こんな程度の風説に狼狽する由もない。みごとに茶にし去っている。
それから八年の時が過ぎ。――明治十三年晩夏以後、またもや「世界は滅びる」と、まことしやかな囁きが帝都各所に木霊した。
ただし今度は具体性を伴っている。「接近する彗星が厄災を齎す」という筋だった。
当時の有力新聞紙、「東京五大新聞」が一角、『郵便報知』にしてからが、その恐るべきを報道している。九月七日の紙面に曰く、
「本年南方に方りて一大彗星が現出すべし。此星は一八六六年に現出せしものと同じく太陽に衝突すべき推度なれば、蓋し此の彗星は太陽に触るゝや其炎熱に焼れて消滅し、太陽は之が為めに数百倍の熱度を加ゆるを以て、全地球の人畜共に残らず焼死して消滅するに至らんと、此説は欧州の天文博士が推捗せしものなれば架空の談ならずと云ふ」
どこのFFのラスボスだ、と突っ込みたくなるだろう。
セフィロスが放つスーパーノヴァの演出が、確かこんな感じであった。
更にそれから三十年後、今度はハレー彗星の接近で、日本人はまたしても上を下への大騒ぎをやっている。
してみると、明治十三年度のこの彗星は、ある意味ハレーの前奏とも呼べるのか。
「伊予国別子の鉱山辺は去月三十日に初雪が降りしより、土地の者は今頃初雪の降るといふは昔より聞いた事もなき事なれば、これこそ世界顛覆の兆也、今に火が降るかも知れぬと心配して居たりしと該地より通信」(明治十四年十一月十七日『朝日新聞』)
みんなつくづく好きだねえ。
不謹慎との謗りを恐れず言うのなら、「世界の終わり」はそれ自体、一個のロマンに相違ないのだ。
見れるものなら見てみたい、天地覆滅、狂瀾怒濤、絶体絶命、未曾有の脅威に、この身を暴露してみたい。酒に酔うような
(viprpg『わてりの夢散歩』より)
今度は何を、どんな具合いにコジ付けるのか。どういう理屈を発明するか、非常に非常に楽しみだ。
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