行き過ぎた精神主義が齎す害を、日本人はきっと誰より知っている。
八十年前、骨身に滲みて味わい尽くしているからだ。「痛くなければ覚えない」。苦痛とセットになったとき、記憶は最も深刻に、脳細胞に刻印される。あの戦敗は、計り知れぬ痛みであった。
「一人十殺」「一億総玉砕」「月月火水木金金」――。意気ばかり盛んで少しも実の伴わぬ、内容空疎なスローガンを横目に一瞥するだけで、誰もが嫌悪に顔を歪めて吐き気を催すことだろう。
が、しかし。だからといって、およそ精神教育をまるきり欠いた組織というのも、それはそれで役に立たない、仏作って魂入れずな三流品であるらしい。
――イラク北部の大都市モスルを
なんとなれば、ISISの戦力はものの千を出るか出ないか。これに対してモスル防衛戦力は、流石にイラク第二の都市なだけはあり、国軍および警察隊まで合わせれば、まず三万を下らない。
(Wikipediaより、1932年のモスルの姿)
攻め手に対し防衛側の戦力が、ざっと三十倍以上。装備の質でもISISは、遠く国軍に及ばない。ばかばかしいばかりであった。知性ある人間の仕事ではなく、ドン・キホーテのやることだ。小学生でもことの帰趨を言い当てる。よほどうまくいったところで嫌がらせが関の山、大局には影響しない、千人ぽっちで歴史の針は動かせぬ――と。それが正常な判断だ。
ところが、である。
意外な結果が訪れた。
有り得べからかざる、と言うべきか。
勝ったのである。
ISISが、モスル防衛戦力に。
狂気が数理の正しさを、粉みじんに砕いてしまった。
しかもその「勝ち方」たるやどうだろう。
戦いと呼べるほどの騒ぎもなかった。
三十倍の数的有利を確保しながら、国軍兵士のほとんどが、ろくに引き金をひきもせず、恐怖に駆られて敵前逃亡したためである。空き家に
テロリストにしてみれば、サンタクロースを捕まえたようなものである。
態とやっているのかと絶叫したくなるほどに、ISISにとり都合のいい展開だった。鹵獲兵器で身を固め、彼らは大いに活気づく。ISISによる支配地域の飛躍的な拡大は実にこの、モスル制圧の成功が鍵となっていただろう。
全世界から嘲笑されたイラク国軍の醜態は、しかしほんの七年後、アフガニスタンに舞台を移して不気味なほど忠実に繰り返される破目となる。
タリバンが接近しただけで、正規軍らは算を乱して逃げ散った。後にはやっぱり無数の武器が残された。奪われた最新装備には、戦車にヘリに戦闘機まで含まれる。なんのためにこいつらを衣食させてきたのかと、国民は激怒して可であった。
いつも
現地の独裁者を追っ払い、西側主導で軍組織を再建しても、出来た端から夏場の鮪の切り身よりいっそう早く腐敗して、結局なんの意味もなく、元の木阿弥、徒労を呈す。中東世界の、ほとんど公理のようだった。
――ここまで書いて、筆者はふと、
「子供たちは生き残るためにも、よく闘う方法を教え込まねばならぬ。軍事訓練が彼らにとって望ましいし、また不可欠である。男たちの間に交って生きぬく方法を教え込まねばならぬ。しかし、物質的価値により成功を測ってはならぬということも教えなければならない。さらに、われわれが築きつつある文明のために正気を失わぬような方法をも教え込まねばならないのだ」
だいぶ前に読破した、『リンドバーグ第二次世界大戦日記』の一節を、どういうわけだかひどく鮮明に想起した。
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