グラッドストンは意志の強い男であった。
一度正しいと信じたことは決して曲げない。全国民から反対意見を突き付けられても、あくまで初志を貫き通す、孤軍奮闘をものともしない勇猛心の持ち主だった。
――自我のみを愛しみ、崇信せよ。
とはウパニシャッド経典の嘗て説いたところだが、何の因果か、グラッドストンの人格は、このインド哲学の妙諦に、忠実に沿って設計されたようだった。
「そういうやつだ」
と、彼をよく知る軍高官が言っている。
「もしもウィリアム・グラッドストンが海軍に入隊したならば、たぶん、おそらく、最終的に、昔ながらの最も剛毅な司令官として名を馳せていたことだろう。彼は自分の考えに正しさを確信したならば、如何なる障碍をも排して戦い、よしんば苦境に陥ろうとも断じて降伏などせずに、艦旗をマストに釘付けにして、みずからの手で火薬庫を爆発させる人物だ」
と。
重力の存在と同等に自国の強力な海軍軍備を首肯する、英人らしい口ぶりだ。
奇しくも筆者は、似たような評価を受けたやつを知っている。
福岡生まれの陸軍大将、明石元二郎その人である。
明石に親しく仕えた部下に三浦憲一なる憲兵少佐が存在したが、明石の没後しばらくしてから、とある座談の席上で、明石の「英姿」――主に統監府時代に於ける――を追慕して、
「何事によらず徹底的に事を運ぶ。森林保護と云へば、私有の森木さへ自由に伐採を許さない。児童の就学奨励と云へば、どんな事情や理由があっても、強引に引ッ張り出す。清潔法を行ふとすれば、塵一本も残してはならず、道路の開通と云へば、田でも畑でも墓地でも容赦なく突き通してしまふ。どんな苦情が出ても一切耳を藉さない。凡てはこのやうに、徹底したやり方であった」
喋りつつ、その猛烈に振り回された苦労まで等しく蘇ってきたのであろう、遠い目をしてしみじみと物語ったものだった。
(京城郵便局)
実際こういうタイプの男は自分も部下も情け容赦なくこき使う。
単に追随してゆくだけでも一方ならぬ気力体力が要求されたに違いない。そのあたりから逆算すると、三浦少佐も凡器量とはとても言えないことになる。
「朝鮮の荒涼たる禿山を今日の如く青々たらしめたのも明石、兎も角も道路らしきものを造ったのも明石、衛生思想を普及したのも明石、一度びこの事を成すべしと信ずれば、眼中官もなく民もなく、唯一目散に突進実行する男」
大塊こと野田卯太郎による評も、やはり三浦の認識と気息を合わせたものである。
(野田卯太郎)
「こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしない男が一番嫌われる」――女をコマすにせよ、事業で成功を収めるにせよ、何にせよ。人生に
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