「…蛇よ、蛇よ、人に喰われて、人となれ。蛇よ、蛇よ、人に喰われて、人となれ…」
一ツ文句を何度も何度も繰り返す。
低く、低く、まるで地面を這わせるように押し殺した
念仏に似ていた。
否、似ているどころのさわぎではない。
そのものである。
近江八幡の地に於いて製薬業を
(近江八幡)
由来、近江は蛇族の群生地として知られたところ。
シマヘビ、マムシ、ヤマカガシ、アオダイショウにシロマダラ、ヒバカリ、ジムグリ、なんでもござれな賑わいだ。
「蝮一匹殺せば仏三体刻んだ功徳がある」という、一殺多生にも通ずるような、かくも物騒な俗信が地元民の間にて、まことしやかに囁かれていた点からしても、あの爬虫類めのウジャウジャぶりと、それが齎す害のひどさが推し量れようものである。
佐藤栄蔵氏の父も、まさにそうした蛇の毒牙の害にかかったうちの一。
蝮に咬まれて、それが素因で、
(なんということだ)
通夜の晩。
若き日の――まだ何者にもなっていない佐藤青年、瞳孔のひらききった面差しで、父の遺骸を見下ろした。
上下するのを止めた胸、閉じられたきり寸余も動くことなき瞼。
(ぬけがらである)
物体と化した人間は、生命であった以前と比べ、妙に小さく、縮んで見えるものらしい。
佐藤氏は激しく戦慄し、而してやがてその戦慄が、彼の精神の深みから、復讐の念を励起した。
――蛇を殺そう。一匹でも多くの蛇を。
垢じみた数珠を握り締め、密かに誓いを立てたのである。
が、この信念の実現方法、具体的な行動が、やはり近江人だった。
「日本のユダヤ民族」と称されるほど利に聡い、近江商人の本場めかしく。――彼は復讐と商売の合一化を図ったのである。
すなわち、蛇を主材にとった生薬づくりに精を出す。それが佐藤氏の「答え」であった。才覚に恵まれたのだろう、やってみると早々にして採算が合い、事業は軌道に乗りだした。となると次は拡大である。人を雇って、大々的に蛇の捕獲に使役した。
(近江名物、大津絵売り場)
およそ人間を動かすものは、善意よりも欲望である。
蛇に咬まれて人が死んでも行政の怠慢を罵るのみで、そこが義憤の関の山な人々も、賃金が出る、儲けになると判明すれば、たちどころに腰を上げ、この害獣を捕獲するため息せき切って山野に突進するだろう。
実際そういう景色になった。
北海道で狼に対し発生した現象と、同一原理といっていい。
甲斐あって、復讐の徒は大いに望みを遂げられた。
昭和初期には稼業もっとも殷賑を極め、旬の季節を迎えるや、一日に五十貫もの蛇族を釜にぶち込み蒸し焼き処理する事例とて、珍しくはなかったという。
五十貫といえば、現代人の身近な単位に換算し、およそ190㎏だ。
これだけ獲ってもまだ尽きないというのが凄い。日本一の蛇の巣だ。
「一番沢山出て品の良いのは滋賀県の伊吹山でとれるものです。
佐藤栄蔵氏にすれば、まさに終わりなき戦いだ。
かてて加えて、如何に憎い
気付けば彼の口元は、一ツ文句を誦していた。そう、冒頭の、
「蛇よ、蛇よ、人に喰われて、人となれ」
である。
ある種、唄のようでもあった。
これは「赦し」の形だろうか。
それとも単に時の流れに従って摩耗したと見るべきか。
答えはきっと、本人にすらわからない。
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