穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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隠し国の月見粥


 伊賀の消息を伝える書誌に「月見粥」というのがあった。


 昭和四、五年あたりまで、彼の隠し国の人々が日常的に口にしていた品らしい。


 なんだ、雅な名前じゃないか、囲炉裏がけした土鍋の中に鶏卵でも落とすのか、乱破どもにも、あれで存外、もののあわれを解すゆとりがあったかい――と先入主を広げていたら、とんでもない。行から行へと読み進めるに従って、思わず真顔にさせられた。


 粥は粥でも、あまりに米の量が少なく、水増しされているために、箸をつける前であろうとはっきり月が映じて見える。貧困を象徴するような、そういうおそるべき代物が、伊賀に於ける「月見粥」の正体だった。


 こうなると名前自体の風雅さが、ある種深刻な皮肉のようにも見えてくる。

 

 

(昭和初期、伊賀の農家)

 


 物心のつかない幼児が、煮えた粥鍋をひっくり返し、全身火傷で死んでしまった。そんな惨話が地元紙の三面部分に掲載されたこともある。やるせなきかな、ただでさえ伊賀は子供に関してむごい逸話の遺る地だ。飢饉相次ぎ、堕胎・間引きの全国的に珍しからぬ江戸後期、伊賀でも当然、その風習は存在していた。


 少々個性的なのは、伊賀人たちはそれを表すに暗号めかしき隠語を開発したことだ。間引いた子が男なら、


「山遊びへやった」


 と称し、また女なら、


「蓬摘みにやった」


 と称す。


 東北人士が単純に「ぶっかえす」とか「うろぬく」とか言っていたのと比べると、やはり上方文化圏だなと再認せずにはいられない。言い回しの妙により、さらりと本質をはぐらかす。日本語の行使に巧みであった。そうやって、苛酷すぎる現実を直視せずに済むように取り計らっていたのであろう。

 

 

Artemisia princeps

Wikipediaより、ヨモギの若芽)

 


 しかし後年、研究者が出て、実状を赤裸々に暴いてしまった。「住民の体格も不良であって、多くは胃下垂にかゝり、腹部のふくれたのが、伊賀人の特徴」であるのだと、寒心すべき実態を、京都帝国大学の、地理学教室所属の文士、村松繁樹によって――。

 


「土地開墾の歴史古き伊賀では人口の増加するにつれて、渓谷や山間の小窪地に耕地を求め続けて、今や驚くべき山上の窪地や傾斜地が耕されてゐるが、それでもそこよりとる物産のみでは生活が出来ない。これは土地が狭いのみでなく、また地質の不良のためである。若し冬季関西線に乗って伊賀を経たならば、田には一面水をたゝへてゐるのを見るであらう。伊賀の山間の田圃は不幸にして粘土質が多く、一毛作で冬の麦作が出来ないから、田は水を張っておくのである。もっとも水を湛へる他の理由は、夏季降雨量少ない盆地で比較的灌漑水に恵まれず、しかも一旦田が乾燥して亀裂を生ずれば、その復旧が甚だ困難であるので、その旱魃より免れんとし、冬はいはゞ貯水池の用をなしてゐるのである」

 


 村松は更に語を継いで、「かうした天産豊かでない国では、住民の生活が極度に切りつめられてゐるのも必然の結果」と診断し、そこから具体例として陳列ならべられていったのが、つまりは上記の「月見粥」であり「間引きの隠語」等だった。

 

 

伊賀上野町本通り)

 


 個人的には良き概説と評したい。


 お蔭で従来、伊賀に対してただ漠然と抱いていたイメージが、だいぶ塗り替えられたから。


 啓蒙はいくら得てもいい。


 祖国にまつわる内容ならば尚更だ。

 

 

 

 

 


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