人は死んだら何処へ行く?
命の終わりはただの無か、それとも更に先があるのか?
きっと誰もが思春期あたりにこんなことを考えて、眠れぬ夜を過ごしたのではあるまいか。
その懊悩の坩堝から、天国も地獄も生まれ出た。
アラスカ・インディアンの社会に於いてもまた然り。肉体を離れた魂は黄泉路を辿り、やがて安寧と幸福に満ち満ちた極楽浄土へと至る。そう彼らは定義した。
ただしそれは、無事に黄泉路を通りきれれば、のお話だ。その旅路には、当然ながら試練が伴う。
独特なのはこの試練の内容で、如何にも彼ら先住民の生活様式を反映したものになっている。
以下、原始美術を追い求め、北に南に異境の曠野を
…死者は現世と同じく犬の案内で他界に赴くが、その道々いくつかの国々を通過しなければならない。その国々には狼の国や、犬の国や鯨の国等があるが、このうち必ず通過しなければならないのは犬の国で、生前犬を虐待したものは、この犬の国を通過する際に、犬達にひどく噛まれなければならない。反対に生前犬を愛したものは、犬に護られて楽土に行くことができるといはれてゐる。(『世界地理風俗体系 18』172頁)
犬橇こそは永いこと、極地に於ける主要交通手段であった。
先住民の生活は、犬なくして一日だって成り立たぬわけだ。
「犬は人間の最良の友」とは彼らにとって疑う余地なき常識で、なればこそ虐使するなど万が一にもあってはならない。禁忌を禁忌たらしめるため、先住民はこの四ツ脚に閻魔と守護天使の役を同時に与えた。
また他界の楽土に赴く道々の獣の国は真暗であるが、生前犬を可愛がってゐたものは、オーロラの光が現はれて、何の苦もなく歩むことができ、空腹になれば犬が鮭の肉をもって来ると信じ伝へ、以上の信仰から生れた伝奇物語にも面白いものがある。(同上)
そしてやはり、極光が顔をのぞかせる。
此岸に於いても彼岸に於いても、この壮麗なる天文現象は人に恩恵を齎すらしい。
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